<社説>主席公選から50年 民意の力が状況打開する


社会
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 沖縄全住民の代表を直接選ぶ主席公選が1968年11月10日に実施されてから50年が経過した。米国の施政下にあった沖縄では、現在の知事に当たる行政主席を、高等弁務官が任命していた。

 本土では、連合国軍総司令部(GHQ)の主導で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本原理とする新憲法が施行され、戦後民主主義へと移行した。他方、沖縄では自らの代表を自らの手で選ぶという、ごく当たり前の権利さえ認められない状況が長く続いた。主席公選は県民による自治権拡大闘争の最大の成果といえる。
 あれから半世紀。72年に日本に復帰して社会資本が急速に整備されたものの、米軍基地の過重な負担は今も続く。銃剣とブルドーザーで土地を接収し基地を建設した米軍に代わって、今度は日本政府が新たな基地の建設を強行しようとしている。
 どうすれば沖縄への差別的な取り扱いをやめさせることができるのか。主席公選を勝ち取った歴史を踏まえ、打開への道筋を探りたい。
 主席選挙では「即時無条件全面返還」を訴えた革新統一の屋良朝苗氏が、本土との一体化政策を掲げた沖縄自民党の西銘順治氏を退けた。日本政府と本土自民党がかつてない態勢で西銘氏を支援し、川島正次郎、福田赳夫、中曽根康弘の各氏ら有力政治家を次々と送り込んだ。自民党から多額の資金が保守勢力に供与されたことが後に明らかになる。
 「沖縄の歴史に大きなエポックを印した結果であり、その一日であった。(中略)殺到する権力、金力に完全に打ち勝ったのである」。当選が決まった11月11日、屋良氏は日記につづった。
 玉城デニー知事も同じ思いをしたかもしれない。政府サイドが対立候補を丸抱えで支援したからだ。政府・自民党が沖縄の重要選挙に介入する構図は現在も変わらない。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設問題は、移設反対を掲げた玉城知事が過去最多得票で当選したことで、反対の民意が改めて明確に示された。
 にもかかわらず、政府は「辺野古が唯一の解決策」という硬直した姿勢を崩そうとしない。安倍晋三首相は「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と繰り返し発言しているが、移設計画の見直しを米側に提起しない限り寄り添ったことにはならない。
 「辺野古移設は日本の国内問題」というのが米国の基本的なスタンスだ。このことは、日本の意思で移設先を決められることを意味する。沖縄の強固な民意を踏みにじってまで新基地建設を強行することを、民主主義を標榜(ひょうぼう)する米国が望むのだろうか。
 米国が主席公選を認めたのは、自治権拡大の象徴として県民が粘り強く訴え続けたためだ。民意の力は大きい。玉城知事はその点を肝に銘じて政府と向き合ってほしい。