慰霊の日 逃げ惑わない平穏な島に/語り継ぎたい沖縄戦の実相

 日米両軍が住民を巻き込み、激しい地上戦を繰り広げた沖縄戦から63年。おびただしい犠牲を払って得た教訓が十分に生かされず、頼みとする平和憲法に揺らぎも見える中で、沖縄は鎮魂の季節を迎えた。

追い詰められた住民
 沖縄での地上戦は太平洋戦争末期の1945年3月下旬、慶良間諸島で始まった。米軍が座間味、渡嘉敷両島に上陸し、捕らわれることを拒む住民が家族や親せき同士で命を絶つ「集団自決」が発生した。米軍に投降した住民が日本兵に殺害される事件も起きた。
 米軍は4月、沖縄本島や伊江島に進攻し、沖縄戦が本格化。地獄の戦場とも称される地上戦の最前線で、多くの住民が逃げ惑い、命を落とした。伊江島では「集団自決」を含め、住民の約半数に当たる約1500人が犠牲となった。
 沖縄守備軍・第32軍は5月下旬、首里司令部を放棄し、本島南部へ撤退した。南部の戦闘では日本兵が住民をスパイ視して殺害したり、壕からの追い出し、食料強奪などが発生。軍隊と混在する極限状態の中で、追い詰められた地域住民や、駆り出された学徒隊の悲劇は起きた。
 戦場では「人間として生きる」ことが、いかに難しいかがよく分かる。兵士に「規律」を求めること自体、無理があろう。「軍隊は住民を守らない」などと言われるゆえんだ。
 現代に生きる私たちは、こうした沖縄戦の実相を語り継ぐ責務がある。「負の遺産」であっても、目を背けてはいけない。被害の視点も、加害の視点もともに心に刻んでこそ、未来へとつながる。
 ただ、残念なことに、沖縄戦の実相を伝えることを拒むかのような動きがくすぶっている。教科書検定問題が顕著な例だ。文部科学省は昨年3月、高校歴史教科書で沖縄戦の「集団自決」を日本軍が強制したとする記述を退ける検定意見を公表。沖縄では同9月、これに抗議する大規模な県民大会が開催された。
 県民大会は超党派で開かれ、県知事も、県議会議長も参加した。検定意見の撤回要求は譲れない一線であり、県民の総意といっていいだろう。昨年末の検定審議会で一定の記述回復が図られ、決着した形だが、歴史観をめぐる論争はせめぎ合いが続く。

「声なき声」に耳を
 もうひとつ気になるのは国民保護法をめぐる動きだ。他国からの侵攻やテロなどの有事を想定し、住民の避難誘導などで被害を防ぐ目的の法律で、国と自治体による共同訓練が始まっている。民有地や家屋の使用など私権制限に踏み込んでいるのが特徴だが、軍事優先の印象は否めない。詰まるところ、沖縄戦とダブって見える。
 逃げる手だてを考え、訓練しておけば大丈夫という話ではあるまい。沖縄戦を教訓とするなら、まずは逃げ惑う必要のない平和で安定した国づくり、島づくりを考えるのが筋だろう。現状は「戦力の不保持」をうたった平和憲法の危機ともいえる。
 太平洋戦争で沖縄は、本土防衛の“捨て石”にされた。戦後、本土から切り離されて米国統治下に置かれ、復帰後も広大な米軍基地の重圧に悩まされている。憲法が保障する基本的人権など、どこへ行ったのかと思う。
 未曾有の戦禍を体験し、県民は「命どぅ宝」(命こそ宝)という言葉をかみしめた。もう逃げ惑わなくていい島に、人間の尊厳を守れる国に住みたいと思うのはごく自然ではないのか。
 沖縄戦の激戦地だった那覇新都心に近い丘の周辺で22日、平和学習の高校生ら市民が戦時中のものと思われる遺骨と遺品を見つけた。不発弾処理もそうだが、半世紀余を経て、戦後処理が終わっていないことを実感する。
 慰霊の日は、戦争さえなければ幸せな生涯を送れたであろう人々の「声なき声」に耳を澄まそう。惨禍を繰り返さない誓いを、一人一人が新たにしたい。