P3C送信所 脱基地で町振興の拠点に

 返還から37年。軍事基地が町振興の拠点へ転換される。本部町の上本部飛行場跡地のことだ。新たな自衛隊基地建設の動きを、本部町民が長年の反対運動で食い止めた。

 「自衛隊基地といえども、戦争に加担する施設は絶対に造らせない」。そんな強い意志を、本部町民は20年余も持続してきた。
 町長や区長が代わっても、反対の姿勢は、まるでDNAのように連綿と引き継がれてきている。
 米軍が沖縄占領後に上本部飛行場を建設し、復帰前の1971年にようやく地権者に返還された。
 しかし、滑走路をそのままに原状回復もないまま返還された跡地は、跡利用が難航した。
 そこに87年、海上自衛隊のP3C対潜哨戒機との交信施設ASWOC(対潜水艦作戦センター)送信所建設計画が浮上した。
 ASWOC送信所は、対潜哨戒機が洋上で発見した潜水艦のデータを解析し、攻撃や作戦を指示するための施設である。
 跡利用が難航する中、多くの地権者が送信施設用地として賃貸契約に応じた。
 だが、町長をはじめ周辺住民は「戦争につながる施設の建設は絶対に許さない」と、現地に闘争・団結小屋を造り、文字通り体を張った反対運動を続けてきた。
 地元・豊原区の住民らは、戦争中は日本軍に、戦後は米軍に土地を強制接収されている。
 住む家も焼かれ、戻る場所を奪われた屈辱の体験がある。米軍も自衛隊も同じ「軍隊」との認識も町民には共通している。
 屈辱の体験を「子や孫の世代に体験させない」との思いが、防衛省の新基地建設を断念させた。
 そもそも20年も頓挫し、建設されずとも支障のないASWOC送信施設自体が、もともと不要の施設ではないか。そんな疑問も出る。それでも、建設中止を決めた防衛省は「代替地を早急に選定したい」との意向のようだ。
 ただでさえ米軍基地の過重負担に苦しむ沖縄である。自衛隊といえども新たな基地建設を進める国の姿勢には大いに疑問を感じる。
 全国一の高失業率、低所得、低貯蓄、高財政依存経済に呻吟(しんぎん)する沖縄県民が欲しいのは、新たな軍事基地ではなく経済基地である。
 農地を収奪し、厚いコンクリートで固め飛行場を造りながら、不要となれば原状回復もなく返還し、跡利用を難しくしたまま放置する。
 土地の収奪と長期占領・占拠のつけを住民に求める。これが政府のすることであろうか。
 計画中止を決めた政府には、基地施策で翻弄(ほんろう)し跡利用を阻害した反省も踏まえ、本部町民の長年の労に報いる跡利用支援策を、きっちりと要求したい。


<訂正>初出の記事で「旧日本軍が飛行場建設を進めていた上本部飛行場跡は、戦後、米軍が接収し」は「米軍が沖縄占領後に上本部飛行場を建設し」の誤りでした。おわびして訂正します。