安保共同声明 深化は民意に立脚してこそ

 日米安保条約改定の署名から50年を迎えた。両国の外交・防衛4閣僚は日米同盟を「地域安定の礎石」と位置付け、幅広い分野での協力や同盟の深化などを確認した共同声明を発表した。

 国民にとって、より良い未来へと向かう深化ならいいが、声明を読む限り、その確信が持てない。経済や環境分野などよりも、むしろ軍事面での精強化を誓い合った印象が濃く、アジア太平洋地域の安定と繁栄に逆行しないかと不安になる。
 米ソ冷戦期の産物である日米安保体制に、十分な検証もなく過大な評価を与えていいものか。米国の世界戦略に、日本が都合よく組み込まれた側面はなかったか。
 さらには、軍事力に頼らない形での新たな友好条約締結という道を閉ざしてしまった可能性はないのか―などの疑問がわく。
 検証もそこそこに、両国が冷戦後も必要以上に周辺地域の脅威をあおり、軍備拡大に突き進むさまは危ういことこの上ない。
 ここは立ち止まり、ミサイル防衛に象徴される現行同盟の実態に目を凝らす必要がある。日米は現在、命中精度や射程を向上させた次世代型迎撃ミサイルを共同開発中だが、米側は欧州など第三国へも供与できるよう日本側に対応を要求している。実態の一例だ。
 本質を見極め、正しい方向へとかじを切らないことには平和と安全など保証の限りでなくなる。いびつな軍事偏重から脱却し、対等なパートナーシップを築くという基本方向を定めてこそ、深化というフレーズも生きてこよう。
 新安保は「民意」に反して締結された経緯がある。日米共同防衛の明確化や、在日米軍の装備の変更、基地使用目的の大幅な変更を事前協議の対象としたが、国民の反発を押し切る形で調印したことから激しい安保闘争に発展した。
 事前協議をめぐっては密約の存在が表面化した。虚偽の説明を重ねてきた安保の「闇」が指摘されている。
 危うい安保に、国民の命と暮らしを委ねるわけにはいかない。鳩山首相は談話で「米軍プレゼンス(影響力の存在)は今後も地域諸国に大きな安心をもたらす」と説いたが、対米追随外交の継承では政権交代の意義が問われよう。
 安保改定50年は「武力神話」を断ち切る契機とすべきだ。民意に立脚した友好同盟へと転換を図り、深化させてほしい。