訓練移転 即時無条件移転を求める

 戦後沖縄の歴史をひもとけば、首相来県を機に、県民の意思が一つにまとまったことがある。
 1965年8月、初来沖した佐藤栄作首相は「沖縄が復帰しない限り、日本の戦後は終わらない」と表明した。

 しかし佐藤首相が来沖しても、当時多くの県民が望んでいた行政主席の公選すら実現できなかった。
 しかも沖縄住民は「基地のない平和な島」を望んでいたが、日米両政府は、従来通り沖縄の米軍基地の自由使用を前提とした施政権返還を考えていた。
 失望した沖縄住民は、日本復帰は「悲願」というそれまでの感情の域から、核兵器も基地もない「即時無条件全面返還」を求める明確な運動へ向かっていく。
 67年の祖国復帰協総会は初めて「軍事基地反対」のスローガンを採択した。運動は68年の主席公選実現、70年のコザ騒動へとつながっていく。住民の抵抗の前に米国の沖縄統治は破綻(はたん)した。
 46年前の出来事と現在の沖縄はある種共通する部分がある。
 昨年12月の菅直人首相の来県以来、関係大臣や民主党幹部が続々やって来て仲井真弘多知事と面談した。だが、大多数の県民が米軍普天間飛行場の「県外移設」を求めているにもかかわらず、日米両政府は県内移設という日米合意の履行を繰り返すだけだ。
 中でも北沢俊美防衛相は、嘉手納基地のF15戦闘機訓練のグアム移転で日米合意したと伝えた。ただし普天間飛行場の県内移設進展という前提条件付きだ。沖縄側が到底のめない話で実現性は薄い。
 そもそもF15訓練移転と普天間をリンクさせるやり方は、国民の生命財産を守るという国の責務を放棄し、差別的ですらある。
 米軍の嘉手納基地は、約100機の常駐機が爆音をまき散らす。乗用車の1メートル前でクラクションを鳴らされるに等しい爆音によって、周辺住民が未明にたたき起こされる異常事態が続いている。
 騒音に苦しむ周辺住民は、約2万人という空前の規模で第3次嘉手納爆音訴訟を提訴する。
 これまで国は、住民に提訴されるたびに違法判決を受け賠償するという悪循環を繰り返してきた。直ちに、かつ将来にわたって被害を軽減する責任があるはずだ。
 そのためにF15訓練の即時無条件移転を求める。