普天間合意15年 県内移設の呪縛と決別を

 1996年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が、県内移設の条件が付いた米軍普天間飛行場の全面返還を電撃的に発表してから15年がたった。
 翌13日付本紙の社会面見開きの紙面は、地元の桃原正賢宜野湾市長が「沖縄の夜明けが来た」と率直な表現で喜ぶ姿を報じた。

 一方で、ヘリ部隊の移設先に浮上していた嘉手納基地の周辺自治体と住民の強い反発を「爆音、危険たらい回し」との大見出しで伝えた。
 桃原氏の歓迎ぶりがかすむ紙面に対し、読者から「返還させたくないのか」と批判もいただいた。
 その後の普天間問題の歩みを振り返ると、あの日の紙面は、県内移設の険しさを端的に見通していたのかもしれない。
 日米両政府は、15年間、県内移設の呪縛にとらわれてきた。
 「世界一危険」とも称される市街地の航空基地を、できるだけ早く撤去する原点が置き去りにされ、移設先探しが優先されてきた。
 今も普天間飛行場は宜野湾市のど真ん中にあり、返還の道筋は見えない。この無為な日々は、失われた15年と表現してもいいだろう。
 しかし、着実に太く育まれてきたものがある。これ以上、危険な基地を沖縄に押し付けることを拒む民意である。節目の県民世論調査は総じて7割以上が県内移設に反対し、高止まりしている。
 普天間問題の底流には、既得権益化した米軍の基地自由使用の維持に腐心する日米政府と、人権や環境保全の観点から押し付けに抗(あらが)う沖縄社会との対立構図がある。
 「最低でも県外」を掲げて登場した民主党政権への交代後、「県内移設反対」の民意は後戻りしようのないうねりに高まっている。
 民主党政権はあっけなく県内移設に回帰したが、県内容認派だった仲井真弘多知事は「県外移設、日米合意見直し」に舵(かじ)を切り、再選を経て主張を鮮明にしている。
 経済振興策をてこに新基地を受け入れさせる手法も行き詰まり、県民は最善の道として「県外・国外移設」「撤去」を臆せず主張するようになった。
 党派を超え、「県内移設」を拒む沖縄社会に、辺野古移設の日米合意を容認する余地はない。
 失われた15年の核心は対米追従と沖縄の民意を黙殺する「構造的差別」にある。日米政府は15年を省みて県内移設を断念し、民意を反映した解決策を模索すべきだ。