チェルノブイリ25年 脱原発は自明の教訓だ

 旧ソ連チェルノブイリ原発事故から26日で満25年となる。福島第1原発事故を経た今の日本にとり、チェルノブイリから学び取るべき教訓はあまりにも多い。
 最も重要な教訓は、ひとたび原発で大事故が起きると、周辺の地域社会が丸ごと消滅するということだ。人々の生活も仕事も一挙に失われ、破壊されてしまう。

 チェルノブイリでは、原子炉から4キロの地点にあった人口5万人のプリピャチの街が廃虚と化した。
 二つ目の教訓は、事故の影響は非常に長く続くということだ。事故後25年を経てもなお、原子炉から30キロ圏内は立ち入り禁止区域である。事故の9年後、隣国ベラルーシでは小児甲状腺がんが事故前の数十倍に増えた。小児白血病が有意に増えたという報告もある。
 チェルノブイリでは事故後3週間での死者が28人だった点を取り上げ、「福島では皮膚障害が1人だけ」と違いを強調する専門家が日本にいるが、ためにする議論、と言わざるを得ない。
 真に警戒すべきは長期的な被ばくであり、その点を勘案しない比較に何の意味があろう。しかも福島第1原発では今も放射性物質の放出が続いている。事故を矮小(わいしょう)化するかのごとき言説は不見識だ。
 福島の事故が起きる前、原発推進論者はチェルノブイリについて「ソ連と日本では原発の構造が違う」「ソ連の運転管理はずさんだが、日本はしっかりしている」などと述べ、「日本では起こり得ない事故」と位置付けていた。
 何と空疎な言説か。歴史上の大津波を基にした専門家の警告も、政府や東京電力は事実上無視していたことが分かっている。
 日本の安全対策は「著しい放射能災害をもたらすような事態は、最初から想定しない」だけのことだ。何のことはない、「見たくないものは見ないから、存在しないのと同じ」という幼児的心性にすぎなかった。
 原発に関わる政府機関などいわゆる「原子力村」の専門家の言説は原発推進の結論ありきだった。そんなことも、チェルノブイリ事故を振り返るとよく分かる。
 チェルノブイリでは今も、廃炉を覆う「鉄棺」建設費約2200億円の工面が議論されている。事故防止策のコストも含めると経済的にも引き合わない。脱原発は自明、というのが導くべき教訓だ。