4・25から1年 日米は揺るがぬ民意直視を

 米軍普天間飛行場の県内移設断念を迫り、県外・国外移設を求めた県民大会から1年。超党派で政府に県内移設反対を訴える歴史的な大会だったが、「県内移設が現実的」とする政府は県民の切実な願いを突っぱねたままだ。「最低でも県外」を掲げ、誕生した鳩山政権に県民の期待は高まった。だが、県民大会から1カ月、移設先は再び県内に戻った。

 県内回帰が決まると、嘉手納統合、キャンプ・シュワブ陸上、勝連半島沖、くい打ち桟橋工法と、出ては消える代替案に既視感を覚えた。まるで自民政権下の普天間問題の対応を見ているようだった。
 あきれたのは、鳩山氏の「方便発言」だ。インタビューで、鳩山氏は辺野古回帰の理由付けとして「抑止力」という言葉を方便として使ったと明かした。官僚は政権交代前の古い合意にしがみつき、政治家は具体的戦略も粘り強く米側と交渉しようという気概もないことをさらけ出した。
 かつて普天間を上空から視察したラムズフェルド米国防長官でさえ、その危険性に言及した。その翌年の2004年、沖縄国際大学にヘリが墜落し、懸念は現実になった。それでもなお世界一危険といわれる普天間を放置するのか。
 これ以上の基地負担は無理と意思表示しても、政府は移設を拒否すれば「普天間は固定化」と開き直る。あまりにも不誠実だ。
 深夜・早朝の騒音発生も増えている。上大謝名では1997年度177回、2010年度は千回を超える。嘉手納からのダイバート(目的地変更)に至っては、日米両政府は普天間飛行場の危険性を無視しているのか、と疑う。
 変化もあった。仲井真弘多知事の姿勢だ。県外移設にこだわれば普天間が固定化されかねないとの立場から煮え切らなかったが、県民世論を背景に県外移設へと転換した。辺野古への移設に反対する稲嶺進名護市長は広報誌で「再編交付金がなくても市は大丈夫」と表明した。“ムチ”に抗(あらが)う、この政策転換の重みを県民も本土住民もしっかり受け止めたい。
 10年ごとに更新された沖縄振興計画は、12年3月に切れる。次の振興策と引き換えに、政府が県内移設受け入れの圧力を強めるだろうが、そうした“アメとムチ”の手法は通用しない。「4・25」の民意を読み違えると、日米関係は混迷を深めるだけだ。