知事訪米講演 もう犠牲は甘受しない/「県外」字義通り受け止めよ

 米軍普天間飛行場移設問題をめぐっては、日米両政府の間に根強い「期待」がある。「仲井真弘多知事の『県外移設要求』は、知事選を乗り越えるためのポーズだった。いずれ翻意して『県内』を受け入れる」という「期待」だ。
 仲井真知事が訪米して「県内移設は事実上不可能」「他の都道府県への移設が合理的かつ早期に課題を解決できる」と演説した。
 米国に乗り込み、知事が肉声で訴えた意義は大きい。この講演を聴いてなお「いずれ翻意する」と裏読みされては、知事も不本意であろう。日米両政府には字義通り受け止めてもらいたい。実現不可能な県内案にいつまでもすがるのは不毛だと認識すべきだ。

本末転倒
 知事の述べた通り、「県内41の全市町村長と県議会議員全員が(県内移設)反対」「(地元)名護市の市長が反対、市議会も反対多数」である。客観的に見て、これで移設が可能だと思う方が不見識も甚だしい。
 「辺野古強行は全県的な激しい基地反対運動につながり(中略)県民と米軍の関係を決定的に悪化させる」という指摘は、現下の情勢に照らして正鵠(せいこく)を射ている。
 野田佳彦首相が所信表明で言及するなど、日米両政府は「県内移設しなければ普天間が固定化する」と恫喝(どうかつ)めいた言動を繰り返している。だが、知事の言うように「問題の原点は普天間の危険性の除去」であり、固定化は本末転倒そのものだ。「この状態で(普天間の)安定的運用は事実上無理」という知事の指摘の重い意味を、両政府は認識してほしい。
 元外交官の佐藤優氏は外務・防衛官僚の間で辺野古移設“強行派”が急速に頭をもたげていると指摘する。そんな状況を踏まえてか、作家の大城立裕氏は開沼博氏との対談(本紙8日付、東京新聞企画)でこう述べた。「政府は今は高をくくっている(中略)沖縄は侮れないですよ」
 不測の事態が起きてからでは遅過ぎる、という指摘だ。沖縄の反発力を過小評価する“強行派”の官僚たちは、時代を透視する作家の「予言」に耳を傾けるべきだ。
 知事はまた講演でこう述べた。「沖縄に海兵隊がまとまって存在しないといけない理由(中略)が明らかにされておらず、(中略)国内の他の地域について(移設が)十分検討されたとは言えない」。基調に流れているのは「不公平」という認識だ。
 民主党への政権交代に伴う動きが雄弁に物語る。移設を嫌がる本土の民意は大事にし、正式な打診一つせず諦めるのに、沖縄には県議会決議も知事の声も無視して移設を押し付けようとする。その差別性を、一連の経過を通じて県民はまざまざと認識したのだ。
 その認識の進展は不可逆的である。もはや被差別を自覚する以前の状態には戻れない。

二つに一つ
 差別は人として決して許容できない性質のものである。「ある」か「ない」か、二つに一つの世界なのだ。足して二で割る手法は通用しない。「差別の度合いが今までの半分だから許容する」ということはあり得ない。現状よりはましだからといって、差別の一つにほかならない県内移設を受け入れることにはならないのだ。
 われわれが主張しているのは、ごくささやかなことにすぎない。全国の他の都道府県の世論と同じように、沖縄の民意も扱ってほしい。基地に対し、移設を断るだけで済む人々と、同じような地位を与えてほしい、ということだ。
 不公平を認識した以上、われわれはもはや本土の犠牲になるだけの存在ではない。差別や犠牲を甘受するのはもう終わりにしたい。
 今回の訪米で知事が米国政府の要人に直接、県内移設反対を訴える場面はなかった。だが、知事を批判するには当たらない。
 鳩山政権で首相が日米合意見直しを模索した際、日本の外務・防衛官僚は米側に対し「柔軟さを見せるべきでない」「妥協的であるべきでない」とご注進した。ウィキリークスがそう暴露している。今回も知事の面会を妨害した可能性は、容易に想像できる。
 しかし米国の学者らに対し、知事自身が肉声で県内移設不可能論を唱えた意義は決して小さくない。訪米は成功といえる。日米両政府の「安保で飯を食う」、いわゆる安保マフィアたちにくさびを打ち込んだ点を評価したい。