普天間合意16年 県内移設を断ち切る時だ

 1996年4月12日、日米両政府が米軍普天間飛行場の全面返還に合意して以来、一刻も早い閉鎖・返還を訴えてきた地元宜野湾市の市長は既に5人目を数える。
 返還条件とされた県内移設が妨げとなり、周辺に19の小中高校・大学を抱える市街地の基地の危険性を取り除く原点は置き去りにされ、16年の無為な歳月が流れた。

 「世界一危ない」と称される普天間は1センチも動かず、居座り続けている。
 自由に使える航空基地を握り続けたい米国、それに従うばかりの日本政府の厚い壁と、早期返還を切望する沖縄社会がせめぎ合う不幸な日々に決別せねばならない。
 滑走路の端から約400メートルの距離にある普天間第二小学校の教室内で、車のすぐ前で聞くクラクションと同水準の爆音が計測された。
 「隣の地区から来た教諭でさえ、『こんなにひどい騒音とは知らなかった』と口をそろえる。それがこの学校の日常なのです」
 同小校長を3月まで務めた知念春美さんの言葉は、平等に学ぶ権利を保障できない教育者の強い自責の念を帯びている。
 米本国の基準ならば、運用が許されない。露骨な二重基準が横たわる普天間飛行場の存続は、人権侵害、そして差別の問題であることを沖縄社会は深く認識している。これまで以上に閉鎖や県外・国外への移設要求を強めるべきだ。
 在日米軍再編見直しを協議している日米政府は、「密接不可分で切り離しは絶対できない」と言い張ってきた普天間返還と在沖海兵隊のグアム移転、嘉手納基地より南の基地返還のパッケージ(一括実施)をいとも簡単に切り離した。
 海兵隊の実戦部隊の多くが県外に去る。沖縄に代替基地を造る根拠に挙げた「抑止力」は、もはや整合性が取れなくなった。
 沖縄には基地を抱える宿命があり、力ずくで押せば屈する―と見立てて県内移設をごり押しする日米政府の思惑をとらえ、県民は沖縄のあるべき姿を見据える分析眼を高めている。
 県内移設を容認・推進した仲井真弘多知事は県外にかじを切り、名護市辺野古への移設に向けた環境影響評価書に対し、「環境保全は不可能」と明言している。
 議会有力者が辺野古を不可能と見なすなど、米国の地殻変動も大きい。沖縄の民意を反映した普天間閉鎖、県外・国外移設こそ、日米政府が取るべき唯一の道である。