2012年回顧/差別実感させられた年 犠牲の強要はね返そう


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 中国、ロシア、フランスと主要国トップが軒並み入れ替わった2012年も暮れようとしている。韓国も女性大統領が誕生し、北朝鮮も新体制が発足、日本も自民が政権を奪還する激動の年だった。

 一方、垂直離着陸機MV22オスプレイ強行配備、悪質な米兵事件続発など、沖縄は今年も基地被害に苦悩した。変わるものと変わらぬものが交錯した1年とも言える。復帰40年を経てなお続く沖縄への基地集中は紛れもなく差別だと実感させられた年でもあった。
 復帰41年目、新たな10年のスタートとなる来年こそ、そんな差別的状況を脱し、沖縄が自ら道を切り開ける年にしたい。
60年前と同じ
 いろんな意味で「周年」を意識した年だった。復帰40周年記念式典で上原康助元沖縄開発庁長官が「なぜ日米両政府は県民の切実な声を尊重しないのか」「あまりの沖縄蔑視」と述べたのが印象的だ。
 今年は復帰40周年だけでなく、サンフランシスコ講和条約の発効60周年でもある。沖縄を米国の占領統治に差し出すのと引き替えに、日本が独立を回復したのがこの条約だった。
 森本敏前防衛相は年末の退任会見で堂々と「米軍基地は軍事的には沖縄でなくてもいいが、政治的に許容できるところが沖縄しかない」と開き直った。「沖縄は犠牲にしても構わない」という日本総体としての無意識があらわになったとも言える。それがあった今年、沖縄を犠牲に差し出した条約が節目を迎えたのは象徴的だ。つまり、60年前から日本全体の無意識は変わらないということだ。
 最大の象徴がオスプレイ強行配備だろう。沖縄は知事と全市町村長が反対声明を出し、県議会と全市町村議会が反対決議をした。間接民主主義の手続きを尽くし、なおかつ県民大会という直接民主主義的手続きも実行したが、米軍は配備を強行し、日本政府はそれを許容した。これほど徹底的に民意が踏みにじられる地域がほかにあるだろうか。
 総選挙で県内から小選挙区や比例代表で当選した7人は全員が普天間飛行場の辺野古移設に反対した。にもかかわらず自民の安倍晋三総裁は早速、辺野古移設を推進する考えを示した。沖縄には民主主義を適用しないと述べるに等しい。
 今年も米兵の事件が相次いだが、集団女性暴行で逮捕された米兵らは数時間後に出国の予定だった。日米地位協定で捜査が制限され、犯罪者が守られる結果、事件を誘発していると言える。沖縄はその改定を求めているが、政府は一向に乗り出さない。ここでも民意は無視されたままだ。
相似形
 尖閣諸島の領有権をめぐる中国とのあつれきも耳目を集めた。石原慎太郎東京都知事(当時)が所有者から土地を購入し、施設整備すると公言したのがきっかけだ。
 施設を造れば中国と軍事衝突もあり得る。沖縄の頭越しに沖縄の海を戦場にしかねない話だった。沖縄の民意は置き去りという点で、基地問題と相似形をなしている。軍事衝突回避のため政府が国有化したが、それで中国との関係が悪化したのは皮肉だった。
 腹立たしいこと続きだが、朗報もあった。iPS細胞を開発した山中伸弥京都大教授のノーベル賞受賞の快挙には日本中がわいた。
 女子ゴルフで宮里美香選手が米ツアー初勝利を飾ったのも県民を勇気付けた。東浜巨選手の東都大学リーグ最多奪三振記録樹立も同様だ。数少ない清涼剤だった。
 公約違反だらけの民主党政権に終止符が打たれたが、普天間基地の「最低でも県外」に期待を込めた県民にはむなしさも募る。
 政党や政府に期待できないことが明らかになった今、県民に求められるのは自らの将来を自らで決める確固たる意思だ。無力感を乗り越え、沖縄に犠牲を強要し続ける勢力にあくまで対峙(たいじ)し、差別をはね返したい。