那覇軍港返還 移設条件なしの新合意を


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米軍那覇港湾施設(那覇軍港)に関し、現在の移設条件付き返還の見直しを求める動きが出てきた。
 那覇軍港を抱える那覇市の翁長雄志市長は「移設と切り離して返されるべきだ」と訴え、受け入れ先の浦添市には移設反対を掲げる松本哲治新市長が誕生した。

 那覇軍港は1996年のSACO(日米特別行動委員会)の最終報告で、米軍牧港補給地区の沖合に移設することで合意した。移設作業が遅々として進まない中で、移設条件付き返還に拘泥してはあと何十年かかるのか、見通しは立たない。
 国も、県も、実現性の低い合意は見直すべき時期だ。
 そもそも、遊休化する那覇軍港を移設する必要があるのか。
 ベトナム戦争中は米軍艦船の出入りが多かった。しかし、年々減少し、記録が残る2002年は35隻にとどまる。1カ月に3隻程度の頻度だ。それ以降は米軍が情報を提供していないが、遊休化は否めまい。入港数を公表しないことは、それを隠すためではないかとの疑念さえある。
 膨大な費用をかけて新たな軍港を造る必要があるのか、甚だ疑問だ。移設ありきではなく、その必要性を含めて、国は根本から検証し直すべきだ。
 SACOは、県内の11米軍施設・区域(約5千ヘクタール)の返還を合意したが、大半は県内への「移設条件」が付いている。16年たって返還されたのはそのわずか8%、403ヘクタールのみだ。
 那覇軍港に至ってはSACOに先立つ23年前、今から39年前の返還合意にもかかわらず、動いていない。
 小さな島での移設条件付き返還が、いかに現実離れした空疎なものかを象徴している。
 那覇軍港は、沖縄の経済自立も阻害している。沖縄の発展戦略である「国際物流拠点産業集積地域」に隣接し、臨空・臨港型産業を展開する上での障害だ。成長著しい東南アジアに近い有利性を阻害している。
 基地がないと食べていけないという神話どころか、基地があるから食べていけないという状況になりかねない。
 那覇軍港を含む嘉手納より南の施設返還と米軍普天間飛行場移設は「パッケージ」とされてきたが、既に破綻した。移設条件付き返還を見直し新たな合意を探る時期にきている。