アセス住民敗訴 法の正義に背を向けた


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 日本の環境影響評価(アセスメント)制度の後進性と、軍事基地をめぐる不都合な情報を隠す国の体質は不問に付された。あまりに形式的で、本質からずれた、法の正義に背を向けた司法判断だ。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画をめぐり、国の環境影響評価に不備があるとして、原告621人がアセスやり直しや損害賠償を求めた訴訟で、那覇地裁は訴える権利さえ認めず、門前払いした。
 原告が主張した手続きの不備やアセスの違法性に言及せず、国の主張ばかりを追認している。
 最大の争点は、アセス手続きの中で、住民が意見を述べる権利があるか否かだった。
 国はアセスの第1段階である「方法書」で、米軍機が辺野古などの集落上空を飛行することなど、住民生活に重大な影響を与える情報を記さなかった。6カ月後の追加資料で明記したが、住民意見は募らなかった。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備情報は、住民が意見を述べる機会がない評価書段階で盛り込んだ。
 「後出し」そのものである。
 判決は「配備の可能性は1996年ごろから日米当局間の交渉で米国側が説明していた」と認めたが、方法書から外した不作為には触れていない。なぜ、国民の知る権利を無視し、アセス制度の根幹である透明性をないがしろにする行為に厳しく注文を付けないのか。
 判決は「意見陳述権を個人の権利として想定していない」とし、「事業者は住民意見を個々に反映させることや応答する義務を負わない」と、狭義の解釈に終始した。
 方法書などの公告縦覧の手続きに関し、判決は「地域の環境情報を集めるためのもので、国は住民の意見に配慮すれば足りる」とした。国の大規模事業によって、生活環境を脅かされる住民の切実な意見は聞き置く程度にとどめればよいというに等しい見解だ。
 米国では、オスプレイ配備に向けた環境アセスで、住民の懸念が噴き出し、訓練計画の停止や飛行経路の変更がなされている。住民意見を反映する回路が乏しい日本のアセスの後進性は際立つ。アセスにも主権在民の精神が確立されるべきだ。
 今回の判決で、国は辺野古移設強行の環境が整ったと勘違いしてはならない。裁判を通してずるい手法を連ねる国の醜態も照らし出された。判決はお墨付きではない。