「主権回復の日」 「屈辱」続いて独立国か

 これも“安倍カラー”ということか。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」とし、今年から政府主催の式典を開くという。

 「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」
 安倍晋三首相は式典開催の意図をこう説明した。国を憂える政治家として面目躍如たる思いだっただろうか。
 しかし脳裏のどこにも、沖縄にとってその日が「屈辱の日」であることは浮かばなかったようだ。
 日本が「主権」を回復したその後も、米軍占領下に置かれて「屈辱の日々」を送り、72年の「日本復帰」後も過重な基地負担を強いられ「沖縄に主権は及ばないのか」と訴えてきた県民は、首相の言う「美しい国」の国民ではないということなのだろうか。
 しかしその、沖縄を切り離して回復したはずの日本の「主権」は今どうなっているのか。
 米海兵隊の新型輸送機オスプレイは「美しい国」の上空も飛行し始めた。いまや「日本の沖縄化」の指摘も聞こえてくる。外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか。
 2004年の米軍ヘリ沖国大墜落事故の際には、県警が米軍に締め出されて現場に近寄れないという主客転倒の事態まで起きた。
 米軍普天間飛行場移設問題やオスプレイの配備強行に象徴されるように、日本政府の対米追従姿勢はあまりにふがいない。「4・28」後の日本の実態は「従属の日々」なのではないかとさえ思える。
 基地の過重負担の中で、県民の「反基地」感情は根強いが、決して「反米」ではない。戦後米国に留学し、米国流の民主主義を学んだ人も多い。コザ(現沖縄市)に代表される戦後文化も、沖縄の豊かな歴史文化の一部として、県民は建設的に受け止めている。
 その上で「4・28」を「屈辱の日」と捉え、基地の過重負担の解消を求めているのだと、あらためて指摘したい。
 「4・28」が風化しているのであれば、首相はその功罪について国民にきちんと説明すべきだ。
 沖縄の「屈辱」に触れずに「主権回復」を祝おうというのなら、県民にとってそれは、過重負担を強いる「構造的差別」の深化を再認識する日でしかない。

英文へ→Celebrating the date of restoration of Japan’s sovereignty is further humiliation for Okinawa Is Japan really an independent nation?



琉球新報