4・28 まずは歴史を知るべきだ

 人は誰しも過ちを犯す。とりわけ、歴史を正しく認識しないときに過ちを犯すものだ。

 安倍晋三首相は1952年のサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」とし、記念式典を開催すると発表した。だが歴史を調べると、とても祝える代物ではないことがよく分かる。首相もきちんと経緯を把握した方がよい。式典を取りやめ、まずはこの日の意味を徹底検証すべきだ。
 当時、米国の対日外交を主導した国務省顧問のダレスは日本との交渉に先立つ1951年1月、スタッフにこう述べた。「日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるか、これが根本問題だ」
 その後、「岡崎・ラスク交換公文」には、日米間で協議が整うまで米国は希望する場所に、基地を置き続けていい、という趣旨の文が盛り込まれた。ダレスの宣言通りの結果になったのだ。
 日米地位協定により、今、米軍は基地の「排他的管理権」を持つ。基地の使い方は常に米軍が勝手に決め、日本側に発言権はない。日本の空に何を飛ばそうが日本政府は事実上、口を挟めない。主権のまるでない今日の対米従属の源流はこの時の交渉にあったのである。
 外務事務次官を務めた寺崎太郎氏は講和条約について自伝でこう記す。「時間的には平和(講和)条約-安保条約-行政協定(地位協定の前身)の順でできたが、真の意義は逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかった」
 ダレスは講和条約の立役者だが、その狙いは、日本を独立させることで占領のコストを削減すること。そして再軍備を進めさせて共産主義への防波堤にすることだった。外交関係者らの論文でそれが明らかになっている。
 その際の最も重要な前提条件が「米軍の基地の自由使用権」であり、交換公文に潜り込ませ、行政協定で保証した。日米安保条約を結んで基地存続を明記し、その上で、講和条約で日本の独立を認めたのだ。
 講和条約は沖縄を「質草」に差し出して独立した条約だ。その施政権切り離しが今日の基地集中を招いた。そして交換公文と地位協定で主権を売り渡したために、県民の人権・尊厳を脅かす結果となった。これを祝えるわけがない。