琉球独立学会 選択広げる研究深めよ

 歴史の局面が転換した。そんな感を禁じ得ない。琉球民族独立総合研究学会が発足した。独立論は過去、酒席での憂さ晴らしの類いだとやゆする意味で「居酒屋独立論」などと称されてきた。それが学問的な、公的な言論空間の中で論議される時代に入ったのだ。

 本質的な問題は、沖縄の人々が平和のうちに幸せに暮らすには、どのような自治の形態が望ましいかということだ。その選択肢を広げる意味でも学会は多様な観点から研究を深めて発信してほしい。
 1879年の「琉球処分」以降、沖縄は常に多数派たる日本国民のための「材料」として扱われてきた。沖縄戦では捨て石にされたし、1952年に日本が「主権回復」する際は引き替えに米国に差し出された。国土の0・6%の沖縄に74%の米軍専用基地を押し付け、今後も沖縄にだけ押し付けようとしている点から見ても、扱いは現在進行形と言ってよい。
 昨年、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備強行を、日本政府は容認した。知事も県内の全市町村長も県議会も全市町村議会も、民意を体する全ての公職が反対したにもかかわらず、だ。
 たとえて言えば原発事故後の被災地で、知事も全首長も反対する中、新規原発建設を強行するようなものだ。本土でできないことが、沖縄では許されていいのか。
 学会の設立趣意書は「日本人は琉球を犠牲にして平和と繁栄を享受しようとしている。このままでは琉球民族は子孫末代まで平和に生きることができない」と述べる。その危機感は多くの県民が共有しているのではないか。
 政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人々であるべきだ。言い換えれば沖縄の人々の幸せには、自己決定権拡大こそが欠かせない。
 残る議論は、その拡大した形態についてであろう。特別県制か、道州制の単独州がよいか、その際に持つ権限は何か。あるいは独立か、連合国制か、国連の信託統治領か。さまざまな選択肢がありえよう。
 学会は「独立が可能か否か逡巡(しゅんじゅん)するのではなく、独立を前提とする」と述べている。独立論が新たな局面に入ったことを物語る。今後重ねるであろう世界各地の独立の例などの研究を、人々の貴重な判断材料として提供してほしい。



琉球新報