5・15平和行進 基地のない沖縄 着実に


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 5月15日に沖縄が日本に復帰したことを胸に刻み、現在も過重な基地負担にあえぐ沖縄の現状を問う「5・15平和行進」が宮古島を皮切りに始まった。17日には本島で3コースに分かれて行進が始まった。19日までの3日間で県内外の1300人超が参加する。この機会に多くの人が沖縄の基地のありように思いを巡らせてほしい。

 36回目となる今年の平和行進は「果たして沖縄は復帰したといえるのか」という強い疑問が県内で渦巻く中で開催されている。政府は今年の4月28日、サンフランシスコ講和条約発効のこの日を「主権回復の日」と位置付け、記念式典を開催した。沖縄では日本から切り捨てられた「屈辱の日」として語り継いできた。米国統治下に置かれ、基地の重圧に苦しんだ起点だからだ。政府がこの日を祝う意味は、沖縄を切り離した歴史の肯定にほかならない。県内で強い反発が広がったのは当然だ。
 「屈辱の日」は現在でも過去の出来事として語ることはできない。1972年に復帰した時、米軍基地は沖縄に残され、県民が願い求めた復帰の姿とはあまりにも懸け離れていた。そして現在も国土面積の0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が集中して置かれている。不条理は続いたままだ。
 昨年10月には墜落事故を何度も起こし、欠陥機と呼ばれる垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機が普天間飛行場に配備された。今年夏にはさらに12機を配備することで日米が合意した。配備には県知事、全市町村長が反対を表明している。県議会と全市町村議会も反対決議を可決した。「オール沖縄」の意志を示しても配備が強行される。民主国家でこのようなことがまかり通っていいのか。
 普天間飛行場も名護市辺野古への移設計画が進む。知事、全首長、全議会が県内移設に反対している。沖縄には自己決定権が存在しないのか。日本の一県としてみなされていないと考えるほかない。
 平和行進には毎年、県外から多くの人が参加する。沖縄の現状を多くの人に理解してもらう機会としての意義は一層増している。県外の参加者は自身の足で歩き、広大に広がる基地をしっかり見てほしい。そして地元に帰ったら、地域で沖縄の現状を広く伝え、復帰の時に県民が切望した「基地のない平和な沖縄」の実現に連帯してほしい。