閲覧制限撤回 一件落着とはいかない


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 島根県松江市の小中学39校の図書館で、漫画「はだしのゲン」の閲覧が制限されていた問題は、市教育委員会が制限を撤回することで、一応の決着をみた。

 児童生徒が、原爆投下の悲惨さを描く「ゲン」を通して戦争の実態を知る機会を奪われ続ける事態は避けられた。「知る権利」と「学ぶ権利」が守られたことは当然であり、評価したい。
 経緯を振り返ると、教育的配慮の名の下に、前市教育長の判断を踏まえて教育委員会事務局だけで閲覧制限を求めることを決定し、半ば強制力を持って学校現場に指示された。
 教育委員抜きの独断という、手続き論が問題視され、松江市教委の対応は覆された。だが、問題の本質は根が深く、一件落着とはならない。全国的な再発防止に向けてなお課題を残している。
 もとより、被爆地・広島市では、「ゲン」を命の大切さや家庭愛を学ぶ教材と位置付け、小学3年の平和教育で用いていることに思いをはせねばならない。
 事の発端は、昨年8月、「ゲン」の撤去を求める陳情が、松江市議会や市教委に出されたことだった。旧日本軍の残虐行為が描かれているとして「間違った歴史認識」と非難したが、市議会は陳情を不採択としていた。
 一方の市教委側は複数の幹部で「ゲン」を読み込み、全10巻の末尾に近いごく一部にある旧日本軍の残虐行為を問題視し、閲覧制限に突っ走ってしまった。
 平和の尊さを学ぶ機会を奪い、児童生徒が本を自由に読む権利をないがしろにする決定がどれだけ重大かという、想像力が欠如していたと言うしかない。
 一部の強い主張や圧力を恐れ、事なかれ主義に陥った行政が過剰に反応したりするケースが、全国で増える傾向にある。
 沖縄戦の継承という課題を抱える県内でも起きかねない事態と受け止め、平和教育に携わる関係者、そして家庭の中でも、児童生徒の学ぶ権利、知る権利を不当に奪ってはならないという教訓として肝に銘じたい。
 安倍政権下で、教育行政の権限を教育長に集中させることが検討されている。今回の事態は、その危うさも照らし出した。市教委の対応をめぐり、下村博文文部科学相は「違法ではなく、問題ない」と述べたが、学ぶ権利や知る権利への見識が疑われる発言である。