<社説>ボリビア入植60年 不屈の精神を学びたい


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 苦難の開拓史を克服し、地球の反対側で沖縄人としての誇り、アイデンティティーを守り抜いてきた県系人の奮闘に敬意を表したい。

 南米ボリビアに沖縄から計画移民が送り出されてから60年の節目を迎えた。沖縄の政財界などからも多数が参加し、県系人移住地「コロニア・オキナワ」で入植60周年記念式典が盛大に催された。「平和の理想郷」としての発展と、今後の母県との交流強化に決意を新たにした。
 県系人のボリビア社会への功績はまず、経済への貢献が挙げられる。第1から第3コロニアまで合わせると耕地面積は約5万ヘクタールに増え、沖縄県全体の農用地を上回る。大型機械を駆使した穀物中心の先進農法への評価は高い。ボリビア政府が「小麦の首都」の称号を贈る模範農地である。政財界にも多くの人材を輩出してきた。
 第1移住地内にある「歴史資料館」は疾病、洪水、干ばつが相次いで押し寄せた壮絶な開拓史を克明に刻む。開拓地で射殺されたヒョウの写真に驚く。猛獣がいる未開の密林を切り倒して農地を開き、家族や仲間が総出で助け合い、三線などの沖縄文化を大切にしてきた歩みに胸を打たれる。
 ウチナーンチュの不屈の精神、沖縄が失ってはならない大切なものを移住地が教えてくれる。
 沖縄の移民史の中で、琉球政府が推進したボリビア計画移民は戦後の米軍基地の強制接収と表裏一体だった。戦後史の陰影が刻まれていることも忘れてはなるまい。
 戦後の引き揚げ者が押し寄せて人口が急増する一方、米軍は「銃剣とブルドーザー」で優良農地を組み敷いた。人口増と食料確保に苦悩した琉球政府は、米民政府とボリビア移住を推進した。米民政府にとっては、不満を抱いた住民が共産主義に傾倒することを防ぎ、基地用地が確保しやすくなる一石二鳥の施策だったのである。
 今も「古き良き沖縄」が息づく移住地運営の中心は2世、3世に移り、沖縄文化の継承という課題が横たわる。
 県系人が通う学校では、午前中はスペイン語、午後は日本語で授業がある。2年前に途絶えていた県の派遣教師が来年度から復活する。地元の強い期待に応えるため、二度と中断しないよう求めたい。
 母県と移住地の若者が交流を継続する新たな動きも心強い。次代を担う若者が「もう一つのオキナワ」を一層輝かせてほしい。