<社説>銀天街組合解散 商店街再興の重い糧に


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 なじみ客と店主が触れ合う商店街のぬくもりは地域の絆を深め、活力を生み出す大きな財産である。その柱となる商店街組合のともしびを消すのは苦渋の決断であり、痛恨の極みだろう。

 沖縄本島を貫く三つの幹線国道のうち二つが交差する唯一の十字路がある。国道330号の起点であり、東海岸の物流の核となる329号が交差する沖縄市のコザ十字路である。
 戦後、交通の要所に接する周辺の商店街はにぎわい、中部のみならず多くの庶民の生活を支えてきたが、その中核だった「沖縄市銀天街商店街振興組合」が解散した。
 1980年代に120店舗だった組合員数が38店舗に激減していた。店舗の営業は続くが、前身の「十字路市場」通り会発足以来、62年の組合の歴史に幕を下ろした。
 郊外型大型店舗の進出による客足の減、店舗の老朽化、組合員減少などが重なり、毎月3千円の組合費を納められない店舗が半数に達するほど、組合運営が厳しさを増していた。店主となじみ客が高齢化し、銀天街まつりなどの集客イベントが効果を上げられず、地盤沈下の流れを断ち切れなかった。
 銀天街組合の解散は、空き店舗が目立ち「シャッター通り」化が進む県内の他の商店街が抱える課題に結び付く。時代の変遷と割り切るのではなく、商店街再興に向けた重い糧にせねばならない。
 1970年代から80年代の最盛期には、「十字路」と言えば、コザ十字路がイメージされるほど活況を呈した。銀天街には長く沖縄一の売り上げを誇る化粧品店もあり、夜まで客足が途切れなかった。
 客足が遠のいた90年代以降、苦況克服に立ち上がった女性店主による工夫を凝らしたイベントなどを催した。外部の若い世代を巻き込んで「銀天街まつり」を続けた青年部など、十字路再興に挑んだ関係者の奮闘には敬意を表したい。
 地域を元気づけるには「よそ者の視点、若者の力、ばか者の熱意」が必要とされる。県内にも、那覇市の栄町市場商店街振興組合のように柔軟で多様な価値観を取り入れ、新たな客層を開拓して活気を取り戻した先進的ケースもある。
 知恵と熱意が商店街の次代の担い手を育むはずだ。外部のボランティア組織やNPO法人などとの連携強化も重要になろう。商店街の存在意義を見詰め直す地域ぐるみの取り組みが欠かせない。