<社説>辺野古アセス敗訴 法の不備放置する不当決定


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 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の環境影響評価(アセスメント)手続きに不備があるとして、周辺住民らがアセスやり直し義務の確認などを求めた訴訟について、最高裁は上告を棄却した。アセスでの住民意見陳述権を認めないまま敗訴が確定した。アセス内容の矛盾に踏み込まず、法の不備を放置した。入り口で住民の訴えを切り捨てた極めて不当な決定だ。

 環境影響評価法は環境保全への配慮を確保するための手続きを定めた法律だ。しかし実態は事業実施を前提としたアセスであり、住民の意見を反映させる仕組みが十分担保されていない。現行法は事業者が真剣に環境保全と向き合い、住民の意見に真摯(しんし)に耳を傾けるだろうとの「性善説」に立っているとしか思えない。
 現実にはそうなっていない。辺野古移設のアセスでは国の不誠実な対応が繰り返されている。米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備が記述されたのは、住民が意見を述べる機会がない評価書の段階だ。しかし配備は1996年に米側から日本側に通告されていた。情報隠しも甚だしい。
 国はアセスでジュゴンについて「事業実施による影響はほとんどない」と結論付けた。しかし沖縄防衛局は昨年9月、辺野古沿岸域でジュゴンの食跡を確認していたのに、公表していなかった。自分たちの都合の悪い事実は住民に知らせないようにしていたと疑うほかない。
 辺野古アセスの国の姿勢をみると、環境影響評価法を「性悪説」に立って改正整備する必要があると多くの県民は感じるだろう。住民らが米国で起こしたジュゴン訴訟でサンフランシスコ連邦地裁は米国防総省に対してジュゴンへの影響を避けるよう考慮を求める命令を出している。訴えの内容が違うので単純に比較はできないが、米国の裁判所に比べ、日本の裁判所はあまりにも形式的な判断しか出していない。
 今回の最高裁判断は辺野古移設を推進する国の意向が優先され、アセス法の本来の趣旨である環境保全がないがしろにされても「知らぬ存ぜず」と放置したに等しい。あまりに無責任だ。同時にアセスの内容の是非に踏み込んでいない以上、国はこの裁判の結果をもって、移設作業にお墨付きをもらったと考えるのも間違いだ。