コラム「南風」 団塊の世代


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 新年明けましておめでとうございます。1月から6月までの6カ月間「南風」を担当させていただきます。私は1947年の亥(い)年生まれで、いわゆる団塊の世代のトップランナーです。私たちは、第2次世界大戦が終戦(敗戦)した後復員した人たち(父母)の間に生まれたので大量に出生したとのことです。私たちの47年生から50年頃までに生まれた人々の人口が突出して大きい塊なので団塊の世代と命名されたとのことですが、言い得て妙であると思います。私たちの1、2年前の世代より突出していたので、私が出た石垣中学校などは1組50人以上のクラスが全校で40数クラスありました。

 校舎は、赤土の上に急ごしらえの木造茅葺(かやぶ)きでした。校舎の入り口の横の桟にぶら下がったり、机のフタを開けると、ハブが蜷局(とぐろ)をまいて襲いかかろうとしていて飛び上がり大騒ぎの連続でした。当時は全琉球一のマンモス校であり、人数があまりにも多いので、同級生に誰がいるのかほとんど分かりませんでした。よく勉強ができる子、スポーツが上手な子、ケンカがめっぽう強い子は目立ちましたが、それ以外はほとんど目立ちません。もちろん、かわいい子は目立っていましたが…(笑)。石垣中学校を卒業しても仲が良くて「うむざ」(石垣の方言でイノシシのこと)会をつくり集って、ワイワイとやっています。その仲間からは、大企業の社長、政治家、公務員、医者、弁護士など多士済々のメンバーを輩出していて、還暦を過ぎた今も仲良く交流しています。
 八重山だけでなく、宮古、本島、本土でも団塊の世代だと初対面でも連帯感があり意気投合してしまう出会いが数知れずあり、私の人生の彩りになっています。幾つになってもお互いの健康などを気遣い声を掛け合う同世代の仲間はいいなと思うこのごろです。
(宮城和博、弁護士)