<社説>外交文書公開 「交渉の闇」一切を公開せよ


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 沖縄の「今」に通ずる「外交交渉の闇」がいくつも明らかになった。外務省が15日公開した沖縄返還をめぐる外交文書のことだ。

 中でも興味深いのは、1965年の佐藤栄作首相来沖の際、米側の圧力で日本側が首相の演説を急きょ変更し、在沖米軍基地の重要性を強調した点だ。
 米側から圧力がかかると急に弱腰になり、そのまま受け入れる従属外交ぶりがよく分かる。そしてその結果として沖縄の基地被害が続く。復帰後も一向に変わらない、そんな経緯が象徴的なのである。
 返還交渉が本格化した後の外務、大蔵両省の協議も示唆的だ。復帰に伴う米軍基地の削減割合をめぐり「(多くの軍用地が返還されても)わが国の防衛力から無用の長物になる恐れがある。費用もかかり、かえって迷惑」との発言がある。基地を大幅に減らす「核抜き本土並み」を願う沖縄の切実な要望に対し、あまりと言えばあまりの冷淡ぶりだ。
 那覇空港の米軍P3B哨戒機をめぐり、米側が当初、岩国(山口)や三沢(青森)への県外移設を検討したのに対し、当時の福田赳夫外相が県外移設を拒み、「沖縄にとどめてほしい」と求めた事実、米海兵隊丸ごとの沖縄撤退を米側が打診したが、日本側が引き留めた事実も既に判明している。
 通底するのは、沖縄の基地負担軽減が本土の「迷惑」になりそうだと分かると、途端に負担軽減に背を向け、沖縄を犠牲に差し出す構図だ。96年のSACO(日米特別行動委)合意時の交渉でも、2005年の辺野古新基地建設案に至る交渉でも、それは繰り返された。常に沖縄を犠牲にし続けるというシステム。「『今』に通じる」というのはそういう意味だ。
 現状の沖縄の基地固定化の弊害を考えると、その後の日米交渉の検証は不可欠である。政府は、返還時にとどまらず、その後の在沖米軍基地をめぐる交渉の一切を明らかにすべきだ。
 沖縄への米軍の毒ガス持ち込みを70年に知った日本政府が、沖縄側に知らせなかった事実も今回、明らかになった。
 沖縄に持ち込まれた化学兵器の総量はいまだに明らかになっていない。71年以降に移送された1万3千トンが、持ち込まれたのと同量か、依然不明だ。米側は統治下の資料一切を公開すべきであり、日本政府もまたそれを要求すべきだ。