<社説>ひめゆり講話終了 引き継ぐ努力を最大限に


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 私たちは平和のバトンを受け継ぎ、次世代に渡せるだろうか。その責任の重さをかみしめたい。

 糸満市のひめゆり平和祈念資料館で1989年の開館以来続けてきたひめゆり学徒の生存者による講話が終了した。修学旅行生などを対象に元学徒が「証言員」として館内講話をしてきたが、体力の問題もあり、半年先の講話を確約できなくなった。
 残念だが、致し方ない。いつまでも高齢の体験者だけに頼るわけにはいかないのだ。なすべきことはたくさんある。証言を映像や冊子にまとめ、若年者が接しやすいようにするなど、引き継ぐための努力を最大限に行いたい。
 元学徒たちはあまりに過酷な体験のため、戦後長く語れなかったが、資料館開館を機に語り出した。「私たちが話さないと友人や先生の生きた証しがなくなってしまう」という使命感からだった。
 資料館の島袋淑子館長はこう語る。「多くの人が、戦争が起きても自分が行って死ぬことになるとは思っていない」。等身大の証言により、そうした若い人たちにも、わが身に降り掛かることだと実感させることができる。その意味で証言の価値は計り知れない。
 館内はもとより館外でも講話をしてきた。館内・館外合わせ年千件以上に及んだこともある。だが高齢化で2013年度に館外講話を取りやめた。当初27人だった証言員も9人に減っている。
 残った館内講話も今回で終わる。館に出向いた元学徒が求めに応じて説明することは今後もあるが、継承は急務だ。資料館もその点を見据え、02年から非体験者の「説明員」養成を進めてきた。
 その努力に敬意を表する。これはひめゆりだけでなく、県平和祈念資料館などにも求めたいことだ。併せて中高生に分かりやすく伝える資料の充実も急ぎたい。
 沖縄戦体験者による証言は、実は体験者全体のほんの数%にすぎないという推計もある。まだまだ掘り起こすべき史実は多いのだ。各地の戦争体験者の証言集作成は急務である。
 戦場の実態を物によって語らせる仕組みも必要だ。その意味で戦争遺跡の重要性はもっと強調されていい。南風原町の陸軍病院南風原壕群20号壕は07年から文化財戦争遺跡として全国で初めて一般公開された。戦争遺跡は今、次々と取り壊されている。南風原のような取り組みをぜひ各地で広げたい。