慰霊の日 沖縄戦の記憶は“平和の砦”

 きょうは「慰霊の日」。鎮魂の思いを込め「沖縄忌」とも呼ばれる。六十二年前、二十万人余が犠牲になった沖縄戦が、事実上終結した日とされる。戦後沖縄の原点となるこの日に、戦争と平和について考えたみたい。
 きのう午後、県議会は、文部科学省の高校教科書検定で沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制などの記述が修正・削除された問題で、検定意見の撤回を求める「意見書」案を、全会一致で可決した。
 「慰霊の日の前に、可決されて本当によかった」と、安堵(あんど)の声が上がったのは、直前まで揺れた県議会の対応があった。
 「軍命の有無が検証されていない」との声が、県議の中から出て、全会一致どころか、決議自体が危ぶまれていた。
 県議会の内輪もめをよそに、県内四十一市町村中、三十六市町村議会が検定意見撤回を求める意見書を可決している。二十八日までには全議会が可決の見込みだ。

改ざんに手を貸す政府

 県議会は意見書で「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」と指摘し、「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と強く批判している。
 県議会の意見書可決で、名実ともに県民世論は「検定意見の撤回」の要求を政府に突きつけた。
 だが、政府の壁は依然として厚い。意見書への見解を求められた久間章生防衛相は二十二日、「防衛省は日本軍のことを引き継いだ訳でなく、防衛省が答える話ではない」と、どこ吹く風だ。軍命の有無にも「そんな昔のことは私は知りません」と、はねつけている。
 久間防衛相は、自衛隊と「日本軍」は異なる。そう言いたいのであろうか。だが、自衛隊はまぎれもなく「日本の軍隊」である。日本軍と違うと強調することで、過去の日本軍の犯した過ちを、忘れようとしている。歴史に学ばない軍の責任者は、また過ちを繰り返しかねない。見識を問いたい。
 十五年ほど前、東京で沖縄戦を指揮した第三二軍の高官・神直道航空参謀に会った。なぜ、住民を巻き添えにしたのか。なぜ軍は住民を守らなかったのか。その問いに「軍隊は敵のせん滅と戦争遂行が役目。住民を守るという命令は無かった」と、淡々と語った。
 「軍は民を守らない」。沖縄戦で生き残った多くの県民が経験で学んだ教訓である。
 戦後六十二年を経て、ことし五月、沖縄では大砲を備えた海上自衛隊の掃海母艦が、米軍基地建設の支援のため、沖縄に派遣された。国民を守るべき自衛隊は、基地建設に反対する市民と対峙(たいじ)し、「民を威圧する行為」との批判を受けた。

体験者の声を聞こう

 自衛隊情報保全隊による「国民監視」の実態も明らかになった。 「軍は民を守らない」との沖縄戦が残した教訓を超える「軍の論理」がそこにある。
 沖縄戦は遠い昔の話ではない。山積する戦後処理問題は、戦争の傷がいまだ癒えない沖縄の現実を冗舌なまでに物語っている。
 沖縄戦での直接の犠牲者のうち、ことし三月末までに十八万三千九百三十五柱が収集された。しかし、四千柱を超える遺骨が、地中深く、あるいは野ざらしになり、収集を待っている。
 県内では二〇〇六年度だけでも八百七十六件もの不発弾処理が行われている。だが、毎年三十㌧を超える処理を続けても、今なお地中には二千㌧を超える不発弾が残る。
 一方で、遺族年金の受給者はこの十年で九千五人(一九九六年)から約四千人(〇六年)と半減している。沖繩戦の実相を知り、戦争体験を語り継いできた「語り部」たちがこの世を去っていく。
 「歴史の目撃者」たちが少なくなり、新たな歴史観による教科書の書き換えが進む。教科書検定問題で「集団自決」での軍命の有無を争点にしているが、本質はまぎれもなく存在する政府の開戦責任も含めた「戦争責任」である。
 歴史の見直しを理由に、政府に都合のいい教科書を書き上げることを考える前に、歴史に何を学ぶかを考えるべきであろう。
 沖縄には、文科省の検定を受けない゛生きた教科書゛たちが、まだまだ健在だ。沖縄戦の体験を直接聞ける。慰霊の日を、戦争と平和を考え、歴史と向き合う節目の日としたい。