<南風>「戦争は負けて良かった」


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 講演のため久しぶりに実家のある愛媛県に帰ってきました。季節柄、お盆も近いので父の墓前に手を合わせてきました。

 1921年生まれの父は、生きていれば95歳。元々、広島県にあった呉海軍工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていた父は、徴兵により旧満州、現在の中国東北部へと出兵することになりました。関東軍では、内燃機関を担当する工兵として働いていたのですが、4本の指を切断する事故に遭い、緊急手術を受けました。当時の病院環境は衛生管理が行き届いていなかったため、院内感染により発疹チフスにかかり、生死の境をさまよいました。
 幸運にも一命を取り留めた父は、入院中に父の所属する部隊が中国中央部に進軍し、病床から戦友たちを見送りました。その後、父は一戦を交えることなく復員し、大分市内で終戦を迎えることになったのですが、そこで、新型爆弾が8月6日に広島、9日は長崎に投下されたことを知ったそうです。戦後は、公務員となり定年を迎えるまで職を全うしました。
 私の記憶に残る父親の姿は、無口だが威圧感のある体躯(たいく)。幼少期に両親を亡くし、養父母に育てられた過去からか、自身の過去をほとんど口にすることはありませんでした。
 私が中学生になった頃、一度だけ父が戦争当時の思い出を語ってくれました。父が発した言葉は「生きているだけで恥」。父が入院中に最前線へと赴いた部隊は壊滅したそうです。その責め苦を抱きながら生きてきた父には、本当につらい人生だったのでしょう。しかし、父はこう続けました。「それでも、戦争は負けて良かった」。この一言に平和への願いが込められています。世界中で右傾化が進んでいます。進むべき道を誤ることがないよう、残された私たち一人一人の責任が問われているのです。
(木村真三、放射線衛生学者)