<南風>大正区沖縄県人会の80年


社会
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 大正区には、名護市や今帰仁村をはじめとして沖縄本島北部出身の方が多く住まわれています。昭和初期には羽地村人会など多くの村人会が結成され、1935(昭和10)年に一致団結し、大正区沖縄県人会が結成されました。

 沖縄から大正区に移住して生活習慣の違い等に悩む方は多く、また1945(昭和20)年の終戦の際には、大正区の沖縄出身の方々は故郷に帰るに帰られず、区内の会社工場は灰燼(かいじん)に帰し、大変な苦労を重ねられました。生活が困窮した沖縄出身の方も少なくありませんでした。

 そんな時に「一人たりとも見捨てない」という徹底した相互扶助の精神で沖縄出身者の生活と福祉を支えたのが沖縄県人会です。現在も大正区沖縄県人会は、行政からの助成に頼らない独立自尊の美風を持ち、区内で最も結束力と実行力に富む団体の一つです。ただ、3世、4世と世代を重ねるに連れ、活動への参加者は減る傾向にあります。

 世代を超えコミュニティーの力と伝統文化を継承しようと、県人会は4年前に子供から大人まで一体で演じるエイサーチーム「大正琉球会」を立ち上げました。

 熱心な活動の結果、大正琉球会は、大阪随一の格式を誇るリーガロイヤルホテルのサマーフェスティバルでメインステージを務めたり、文楽「曽根崎心中」で有名な「お初天神」の七夕祭りに招かれ境内で演じるなどの成果を上げています。琉球会の活動を契機に始まった「リバー大正エイサーまつり」も毎年大盛況です。

 大正区沖縄県人会の皆さんといると、親戚の集まりに帰ってきたような思いやりと親しみに包まれる気がします。現会長の仲村隆男さんは私にとって「親戚の兄貴」のようにさまざまな相談に乗ってもらえる頼りになる存在です。二人三脚で沖縄文化の発信に努めていきたいと思っています。
(筋原章博、大阪市大正区長)