<南風>感謝を込めて


社会
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 明けましておめでとうございます。「南風」初回は2年後に還暦を控えた新年。そこで仕事の原点となる大学時代を振り返りました。今でこそ「殺しても死なない」と言われる私ですが、若い頃は虚弱体質で救急病院の常連。首里キャンパスへの坂を登れず、Uターンして病院へ行く度に「子どもを産んだら治る」と励ましてくださったのが、指導教官の故宮城悦二郎先生でした。

 苦肉の策でミニバイクを購入、これを足にバイトの掛け持ちで学費と生活費を稼ぎ出して琉球大学を卒業。ちなみに鬼と称された大田昌秀ゼミではよく叱られたものの山と出されたレポートは全提出。ささやかな自慢です。

 琉球放送(RBC)と小劇場沖縄ジァンジァン、音楽院・首里で仕事をしたこの頃は1回3万円の司会業で稼ぎ、時給290円のジァンジァンとRBCのバイトで企画制作を学び、音楽院では児童向け沖縄の歴史・自然・文化講座や、交流イベントを実践させていただきました。RBCの外間攻生ディレクターや音楽院の上地昇院長は、仕事を任せつつ厳しく鍛える上司。連日怒鳴られたおかげで、強くなりました。

 そして、子どもは体験と交流で育つことを確信したのが「長野&アメリカミュージックキャンプ」でした。長野では30人余の小学生を飯綱山の自然に放ち、レッスンと交流を重ね、続くアメリカキャンプは、大学情報を外務省から入手して企画。RBCとFM沖縄へ特番を前売りして旅費を捻出しました。キャンプに参加した学生たちは今、各分野で活躍しています。

 こうした大学時代の経験が、後に地域振興や人財育成を行う基礎となり、沖縄県教育委員や各審議会の就任につながったと実感します。いただいた学びや経験を綴(つづ)ってまいります。半年間、よろしくお願いします。

(開(比嘉)梨香、カルティベイト社長 海邦銀行社外取締役 元県教育委員長)