<南風>平和遺産・第五福竜丸


社会
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 東京・江東区の海に面した夢の島公園にその船はある。第五福竜丸。木造の船体は黒ずみ、ところどころ欠け落ちて白い塗装もはげている。船を覆うように建つ都立第五福竜丸展示館は、二枚貝を合わせたような、正面は三角形のガラス張り。中に入ると全長30メートル、高さ15メートル、総トン数140トンの船がそそり立つ。「ワァでかい」「木の船だったの」「本物かぁ」と子どもだけでなく年配の方も声を上げる。

 第五福竜丸を遺(のこ)そう、10年近い保存の取り組みを都が受け止めて展示施設が実現した。広島・長崎に続く三たびの被ばく、福竜丸は1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験に遭遇した。

 広島原爆の千倍という破壊力で広範な海と大気を汚染し、人々に放射性降下物が降り落ちた。実験は5月半ばまで6回、放射能に汚染したマグロを捨てさせられた船は992隻(政府記録)を数える。

 さらに放射能の雨が各地に降り、飲料水、農作物、健康不安など国民全体が水爆の影響を受けた。「実験禁止」「原水爆反対」の声が大きく広がり、国際的にも呼び掛けられた。

 福竜丸の船体からも放射線が検出され、水面下では米軍が除染して沈めるとのやり取りもあったが、政府が引き取り、東京水産大学で検査ののち、同大練習船として改修し使われた。

 被ばくから13年後、建造20年目に廃船、東京のゴミの埋立処分地であった夢の島の海面に船は放置された。「沈めてよいか、第五福竜丸」の声が上がった。

 小さな展示館ではあるが、戦後の核開発と被害の広がり、核兵器をなくそうとする努力、今の核問題など来館者と一緒に考える場でありたい。その真ん中に据えられている平和遺産・第五福竜丸。きょうも私は船を見上げる。
(安田和也、東京都立第五福竜丸展示館主任学芸員)