<南風>協働の喜びと人生の一ページ


社会
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 「とんでもない。契約は対等の立場で結ぶものだ」。早朝に鳴った電話の主は、琉銀松尾支店長で日頃から応援してくださっていた安田邦登氏。私が送った創業100年余の上場会社・乃村工藝社と合弁会社をつくるための合意文書案を深夜に読んだ安田さんは、夜明けを待ちかねたそうです。

 目からウロコでした。大企業に相対すると中小企業や小規模事業者は萎縮してしまいがちです。でも、相互理解・尊重をベースにした協働ができないと、連携による持続的発展はあり得ません。勇気を得たことで内容は改善され、1992年5月、沖縄ノムラが設立されました。初仕事の「首里杜館(すいむいかん)情報展示室」がある首里城復元を機に、県内で文化施設建設が動き出した頃です。

 事業ごとに専門チームを作って取り組みました。最初のミッションは「沖縄を知る」。「壺屋焼物博物館」の基本計画から開館まで陣頭指揮を取り、文化施設建設の手順を手ほどきしてくださった高橋信裕氏は慶良間の海に魅了されました。

 共済会仲間と毎年潜りに来るシゲちゃん、離島移住を願い夫婦で通うリュウくん、女性プランナーの恵理ちゃん、みんな日本を代表するクリエイターであり、今も頼りになる沖縄応援団です。団長だった青木さん、ついに住み着いた仲北さんらノムラの仲間と携わった文化施設は6年間で13館を数えます。

 那覇空港ターミナルビルの内装統括を最後に施設づくりを卒業した私は、その年40歳になりました。諸先輩のご支援をいただき、背伸びをしながら終えた仕事ばかりです。さまざまな課題を知恵と力を出し合って乗り越え、完成させるという協働の喜びを経験し、地域の自然・文化の素晴らしさ、歴史の面白さを学ぶことができた人生の貴重な一ページです。
(開(比嘉)梨香、カルティベイト社長沖縄海邦銀行社外取締役元県教育委員長)