<南風>秦秀夫氏の手紙


社会
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 1970年頃、5月になると読谷の工房の辺りは伊集の花が満開になった。日がな一日人の声も車の音もなく、時々ヒメハブがはい出て来た。國吉清尚は土瓶を作っていた。土瓶は鹿児島の郷土料理店「さつま路」で使ってもらっていた。ある日、友人で古美術商の鶴田氏から連絡があり、案内したい人がいるのですぐ沖縄に行きますと言う。

 訪ねて来たのが秦秀雄氏だった。北大路魯山人の星岡茶寮の支配人を務めた人だ。季刊銀花で氏が語ったことによると、土瓶を求めて全国を巡る中、さつま路にたどりつく。陶人あまたある中で土瓶作りに成功した陶人を知らない。諦めていた中で出会った土瓶に驚いた。こんな土瓶を作る人は伝統陶芸に根差した老人に違いない、早く会っておかねばと思ったらしい。

 突然の秦氏の訪問に私はあたふたと、島ラッキョウと島豆腐でもてなした。その島の味にも秦氏は感動した。そしてラッキョウを盛り付けた小皿を百個作ってくださいと言う。まだ轆轤(ろくろ)のできない私がやっと作った一個だった。秦氏の物の見方が凝縮された出来事だった。後に届いた秦氏の手紙、その名文を紹介する。

 「はるばると、この暑さに琉球へ旅せしはそも何の為なりしや、他なし只君作りし土瓶の至作を欲せし為なり。かつこの至妙の作品を無造作に生みだす人に会わんが為なりし也。(中略)君よ君作陶人として名を追うなかれ、只一途(ただいちず)に君の好む至妙の佳品の制作を生み作り、(中略)世俗に染まず高雅の清風に胸を張って雅状群を抜く作品をご制作の事祈りやまず候。」

 六月晦日(みそか)    秦秀雄

 物作りをしていく中で何度読み返してもドキリとする文面である。名を追わず、世俗に染まず、胸を張って制作していく…。

 拙(つたな)くも川柳を一句
 伊集の香に 遠来の人 誘われて
(国吉安子、陶芸家、「陶庵」代表)