<南風>コンディショングリーンのこと(上)


社会
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 ペット愛好家の犬派と猫派のごとく、オキナワンロック愛好家もコンディション・グリーン派と紫派に大別されるようだ。筆者は前者なのだが、彼らとの出会いが面白い。1980年頃は素潜りに夢中で、当日も東海岸の天仁屋沖270メートルほど、水深2メートルの海中で手銛(もり)片手に魚を探していたら、何やら魚影の濃いものが沖合から近づいてきた。

 実はボンベ潜りのコンディションの面々だったのだが、お互いにギョッとなり、手銛や水中銃のシャフトをそらして「まっさかなー」と驚き合ったものだ。コンディションの面々も週末は米軍払い下げの大型バスで、本島各地のダイビングスポットを彷徨(ほうこう)していた。つまり、われわれは海中で出会ったのである。

 ところで、コンディション・グリーンとは米軍用語である。当時、全軍労の大量解雇撤回闘争ストが頻発したため、米軍当局が1970年1月から発出した「戦闘即応体制準備指令」を指す。これは4軍部隊のみならず、オフ・リミッツと同様、軍人・軍属・家族の民間への立ち入りを規制する内容だった。彼らの芸風がラジカルになっていったのも、グループ名が持つ言霊(ことだま)の作用のようなものだったろう。

 泥沼化するベトナム戦争とその戦地に向かう直前の米兵たちと相対して、肉弾戦の演奏を強いられたコンディションの芸風が先鋭化せざるを得なかったのは当然の帰結だった。

 コンディションの面々は死を背にした聴衆(米兵)の間で飛び交うビール瓶や怒号の中で、至芸とも言える演奏スタイルを確立していったのだ。だが、その面々もベースのエディは既に鬼門に入り、ドラムスのエツはジャズ界に去った。リードギターのシンキはネパールに移住したと聞く。満身創痍(そうい)のカッチャンのみかろうじてロックシーンに独り、立ち尽くしている。

(渡具知辰彦、県交通安全協会連合会専務理事)