<南風>クレイトン雨宮の情熱


社会
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 クレイトン雨宮はハワイ日系3世、オアフ島にて1947年に誕生した。兄や姉たちに囲まれ元気に育つ。父親は早くに亡くなったが、優秀な成績でハワイ大学を卒業した。夢だった外交官となり最初の赴任地が沖縄の米国総領事館だった。見知らぬ土地沖縄で彼はときめいていた。

 そんな彼がある日、友人を介して読谷の工房にやってきた。物静かで多くを語らないクレイトンが、たどたどしい日本語で「陶芸を習いに来てもよいですか」と言ってきた。その日が縁となり、彼は領事館の休みの日は欠かすことなく、手伝いに来た。雨の日も風の日も、休みの日は読谷の工房にいるのが当たり前になった。まるで家族の一員のように。生後間もなかった娘は2歳になっていた。

 彼は心底読谷での陶芸生活を楽しんでいた。その後、クレイトンは2年の沖縄勤務を終え、東京のアメリカ大使館へ転勤した。続いて韓国で2年の役目を終えた時、彼は決心する。領事館を辞めて陶芸をやりたい―。心の中の葛藤が決着した。

 陶芸に24時間没頭していたいと、はやる気持ちを抑えられなくなっていた。計画はトントン拍子に進み、工房の場所をハワイ島と決めた。國吉清尚に手伝ってもらい穴窯を築き、広い土地に鶏を放し飼いにし、窯焚(だ)きの時は息子のゼンや友人の力を借りて作陶ざんまいを楽しんでいる。

 陶芸生活も30年を越えた。人生を180度転換したクレイトン雨宮と私、友人であり、ニュージーランド出身の県内在住陶芸家のポール・ロリマ―氏を交えて、3年前に沖縄県立美術館で三人展が実現した。

 國吉清尚の1番目の弟子で、ハワイで活躍するクレイトン雨宮は大量の作品と共に飛行機でやってきた。

 川柳を一つ。

 引き寄せか 出会いの妙か 人生は
(國吉安子 陶芸家、「陶庵」代表)