<南風>核戦争準備のなれの果て


社会
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 マーシャル諸島での核実験は67回を数える。その中のエニウェトク環礁ルニット・ドームの話である。同環礁は直径30キロで40余の小島がネックレス状に連なる。実験のため、強制移住させられた人々が戻ったエニウェトク本島から濃紺の浅瀬の礁湖をボートで1時間、ルニット島に着く。実験施設は草に覆われ、半世紀余の歳月を感じさせる。

 低木の緑の間を縫うように進むと、眼前にコンクリートのおわんを伏せたようなドームが忽然(こつぜん)と現れる。くすんだ灰色の表面はざらざらでヒビ割れが走る。直径100メートル、厚さは50センチ、海抜8メートルにある人工の構築物だ。もともと原爆実験でえぐられたクレーターだった。本島の除染のために20センチ削った表土をコンクリートと混ぜて投棄し、表面を覆った核のゴミ箱だ。内部の放射線を測るための円筒のパイプが6本立っている。上部はふさがれていた。開いていたら怖い。

 赤道に近い青い海原と白砂、コバルトブルーの海岸線―。美しい島に不釣り合いなルニット・ドームの頂上に立つ。空が広い。向こう側の海岸にも原爆クレーターが海水を満たしている。

 この環礁での40回余の核爆発、故郷へ戻りたいとの島の人々の強い要請を踏まえ、1978年から三つの島だけを対象に6千人の米兵が作業に従事した。このとき米議会は費用5千万ドルの半分しか認めなかったという。汚染土を捨てるクレーターの底のコンクリート打ちさえなされず、そのまま投棄したといわれる。放射能が海に漏れるのでは…という懸念がくすぶる。

 80年4月、住民はエニウェトク本島に戻ったが、北部の島々への立ち入りは禁じられた。コンクリートの寿命をはるかに超える半減期のプルトニウムなどの核物質が潜むドーム。戦争への“備え”“抑止”として繰り返された核実験のなれの果ての光景に立ちすくんだ。
(安田和也、第五福竜丸展示館主任学芸員)