<南風>ハワイでの生活と田辺氏


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 1974年、私たち家族3人はハワイに住んでいた。前回紹介した國吉清尚の弟子となったクレイトン雨宮の助言で移り住んだ。人生の一時期、外国体験も良いかなと気軽にハワイ行きを決めた。1年か2年の期限付きの計画であった。

 沖縄は日本復帰直後、娘は2歳になったばかりだった。ハワイ到着時はクレイトンの家族や友人たちが出迎え、アパートの手配などを世話してくれた。クレイトン自身はまだ東京の米大使館務めだった。私たちは短期の仕事をしながら、ハワイの日常生活に溶け込んでいった。そんな日々でたくさんの出会いも生まれた。中でもミスター田辺は忘れられない人となった。

 いつも買い物に行っていたスーパーのオーナーの田辺氏とは雑談を交わす間柄だった。半年程過ぎた頃彼が「どうしてハワイに居るの。何をしているの」と聞いてきた。そして私たちの状況を知った彼は提案をしてきた。「ここでも陶芸をやりなよ」。協力するからと言っていた。田辺氏は日系1世でハワイ大学近くのマノアに夫婦で住んでいた。今は年寄り2人だけだからと一階のフロアを解放し私たちに住むようにと言った。

 そしてガレージを改造し、工房に設(しつら)え、陶芸窯や轆轤(ろくろ)など必要な道具全てをそろえてくれた。彼は家賃や設備費を無償で提供してくれた。買い物客として出会った私たちに田辺氏は信じられないような事をしてくれた。戸惑っていた私たちも彼の本気さに甘え、ハワイでの陶芸生活を始めることができた。

 それからも田辺氏は一切の見返りを望まず、いつもさりげなく私たちを励ましてくれていた。「はい。お土産」とお菓子を持って帰宅する田辺氏を、幼い娘は笑顔でジイチャンと小走りで迎えていた。

 川柳を一つ。

 受けた恩 バトンに託し ひた生きる

(國吉安子 陶芸家、「陶庵」代表)