<南風>エディの「ウンタマギルー」


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 高嶺剛監督が18年ぶりに撮った映画「恋魚路」が桜坂劇場で上映中なので、映画にまつわるコンディション・グリーンのエディのエピソードを紹介しよう。

 高嶺監督の名作「ウンタマギルー」が公開された1989年の前年だと思う。準主役のアンダケー役で出ていたエディから電話があった。いわく「絶世の美女がいるので撮影現場に来ないか」。二つ返事で那覇市から今帰仁村に駆け付けるも夜の10時を過ぎていた。

 エディは絶世の美女たる豚の精役=マレー役の青山知可子を電話で呼び出した。あにはからんや、彼女は「既に化粧を落としたので殿方の前に出ることはかないません」とおっしゃるではないか。エディはウンタマギルー役の小林薫を呼び出そうかと提案したが、当方は「美女を見に来たのに男の顔が拝めるか」と断った。すると、エディはウンタマギルーの妹役の戸川純を呼び出した。

 ホテルの一室で3時間ほどゆんたくした。戸川さんは生まれたての雛(ひな)みたいな素敵(すてき)な女優さんだった。沖縄口(うちなーぐち)はカセットテープを聞いて覚えるとのことで、ロンドンへのバレエ留学経験もあり、山の手のお嬢さん育ちらしく気品があった。

 その後、エディは潜水士を生業(なりわい)とするが、西原町沖合で潜水作業中に亡くなった。ロック業界の面々が追悼コンサートをやりたいとエディの奥さんに了解を求めたが、「私は津波秀英(エディの本名)の妻であり、エディと結婚した訳ではありません」と申し出を断られた。潔い決断に当方は胸がつぶれる思いだった。

 時は過ぎ、2001年に日出克がアルバム「月灯り」を発表した。その5曲目「沖縄コンヒュージョン」を聞いて驚愕(きょうがく)した。曲の中にアンダケー役のエディの会話がインプットされているではないか。「エディ、君はこんなところにいたのか」と当方は息をのんだ。
(渡具知辰彦、県交通安全協会連合会専務理事)