<南風>沖縄と放射能雨


社会
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 1954年3月の第五福竜丸の被ばくいわゆるビキニ事件で放射能汚染マグロを獲(と)った船は約900隻、なかでも高知県の漁船が3分の1を占めていた。

 80年代半ば、高知の高校生と教員たちは平和学習の調査で、同県のマグロ船に乗って被ばくしたと思われる漁師に出会う。彼らは県内の元船員を追いながら、汚染マグロの獲れる海域が台湾、沖縄の沿岸から九州の南に及んでいたことに注目した。

 実験による放射能雨が本土各地に降りそそいだが、当時天水を常用していた沖縄への影響を疑い、県平和委員会の協力を得て、80年代後半に調査に乗り出した。

 ビキニ事件当時、沖縄には銀嶺丸と大鵬丸という2隻のマグロ船があった。54年6月9日の新報には、米軍検査で銀嶺丸の魚すべて異状なしとある。雨に関して6月2日の新報は、那覇中央気象台長の談話を掲載、ビキニ付近から台風の進路と同じコースで「死の灰」が運ばれると指摘している。

 琉球政府にはガイガー計数管がなく米軍に検査を頼るしかなかった。8日には検査結果を「放射能なし 太鼓判」と報じている。しかし、この紙面の検査写真は雨水を桶(おけ)に入れてその上から直接検知管を当てている。本来は、水を沸騰・蒸発させて残った滓(かす)や塵(ちり)などを測るのである。

 報道では、琉球政府は本土から測定器を入手し定期検査を行うとある。その記録は残っていないだろうか。沖縄気象台発行の「気象要覧」58年版には、7月6日高濃度の放射能雨の記載が見つかってもいる(南海放送2014年8月「放射線を浴びたX年後」)。

 高知県の調査グループは5月半ばに沖縄で再度の聞き取りを行う計画ときく。60年以上前とはいえ、核実験の影響や今につづく被害について少しでも明らかになることは意義深い。
(安田和也、第五福竜丸展示館主任学芸員)