<南風>大切な人との約束


社会
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 最近、蒸し暑くなってきたからか1歳7カ月になる息子の寝つきが悪い。夜、抱っこして揺らして、子守歌を歌って寝るまで何度もそれを繰り返す。ようやく寝かしつけて、そのぬくもりや重さを腕に感じながら、沖縄にとって特別な月、6月を迎えたことを思う。

 4年前のこの時期、私は、“終わらぬ戦後”をテーマに取材を進める中で、ある男性と出会った。1961年にうるま市川崎で起きた米軍ジェット機墜落事故で、顔に大やけどを負った金城善孝さんだ。

 事故当時、小学1年生だった金城少年を襲ったのは、火を噴いたエンジン部分。一瞬にして炎に包まれた金城さんは奇跡的に一命を取り留めたものの、3カ月もの間、目を開けることも出来ず、入院生活は1年半に及んだ。その後も好奇の目に晒(さら)され続けた金城さんはあまりに辛(つら)い記憶を封印した。

 一度目、取材を申し入れた時、「もう、思い出したくない」と断られた。辛い記憶にカメラを向け、心をこじ開け証言してもらう…その意味を私は自問し続けた末、悲しい事故は今の沖縄につながっていて、その現実を考えてもらうためにも番組を制作したいとの思いを強くし、再度取材を申し入れたところ、金城さんは「子や孫たちに伝えてほしい」と証言して下さったのだった。

 あれから4年―金城さんご夫妻との交流が続いている。このほど届いた便りには、お孫さんが新たに誕生し、あわせて孫14人、ひ孫がひとりになると喜びが綴(つづ)られていた。これまで金城さんが懸命に生きてこられたから存在する命たち。その奇跡や重みを思う時、自分の力は小さくとも放送を通じて平和の種を蒔(ま)き続けていきたいと決意を新たにする。

 以前、漠然と抱いていた非戦の誓いは、今、大切な人との約束へと変わっている。
(平良いずみ、沖縄テレビアナウンサー)