銃とアメリカ社会 「近いようで遠い国」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 先日パサデナ・セミナー会(半田利夫主宰)で松尾文夫元共同通信ワシントン支局長の講演「銃を持つ民主主義―アメリカという国のなりたち」がリトル東京であった。松尾氏は「日本にとって、アメリカという国はまだまだ知っているようで知らない国なのではないか、近いようで遠い国ではないのか、そして、すれ違いは昔も今も日本とアメリカの実像なのではないか。銃に対する考えもその観点に立たなければ理解が困難だ」と強調した。

 1992年10月17日、交換留学生の高校2年生服部剛丈君(当時16歳)が米国ルイジアナ州バトンルージュ市でハロウィーン・パーティーに出掛け、家を間違え「フリーズ」の意味が分からなかったためにロドニー・ピアーズに銃殺された事件は今もって忘れ難い。93年5月23日、全員一致の無罪評決となり、ピアーズ被告の正当防衛が認められた。弁護人は最終弁論で「玄関のベルが鳴ったら、誰に対しても銃を手にしてドアを開ける法的権利がある。それがこの国の法律だ」と語った。11月16日、服部家とホスト・ファミリーであるヘイメイカー家がそろってクリントン大統領に面会、銃コントロールを訴え、その考えが米国民の間で盛り上がった。
 しかし、クリントン不倫弾劾裁判やブッシュ大統領誕生、全米ライフル協会の強力な後押しなどで、銃の問題は様相が逆転している。99年のコロラド州デンバー市のコロンバイン高校での在校生2人による校内銃乱射事件、2007年バージニア工科大学銃乱射事件で多くの若者が銃の犠牲になった。その時米国人の多くが「私があの時銃を所持していたら、その場で犯人を銃殺することができ、あのような大惨事には至らなかった」と証言した。個人に銃の所持を認められていない英国やカナダでのこそどろの発生件数は米国の3倍強とのデータがある。
 米連邦最高裁は08年7月26日、銃所持は個人の権利として、ワシントンの憲法第2条修正(アメンドメント)を5対4の僅差(きんさ)で市民の銃規制を棄却した。この小エッセーが米国という国を理解する一助になれば幸いである。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)