コラム「南風」 めんどくさいこと


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 日々、生活しているといろいろなことがある。
 当たり前だが、楽しいことばかりではない。
 「楽しくない」と感じることの一つに「めんどくさいこと」がある。

 何かを頼まれた時、相手には悪いが、自分の身体が急に気だるくなったような、決して心地良くない感覚だ。
 この「めんどくさい」と思う気持ちはどういうことなのだろう。
 「やりたくない」ということと同じなのだろうか。
 いや、違う。
 「今、那覇から名護まで踊りながら歩いてください」
 と言われたら、「やりたくない」。だからやらない。そもそも「必要ない」。
 この時「めんどくさい」という気持ちは皆無だ。湧いてこない。ということは「やりたくない」と「めんどくさい」は別物だ。必要ないことなら、最初から「やらない」だけで済む。「学校・会社に行く」「勉強をする」「食事を作る」「掃除をする」。こんな行動に「めんどくさい」と思ったことがあるかもしれない。
 わかった。
 違いは「必要性」だ。
 もし、とてつもなくきれいな部屋を「掃除して」と言われても、これまためんどくさいとは無縁だ。返事は「必要ないでしょう」。
 「めんどくさい」は、思った本人が「必要性」を認めた証拠だ。「めんどくさい」と思った瞬間「この作業は必要なんだ」と本人が自覚したということだ。
 科学研究は「地味」だ。成果は華々しいが、作業は正確に行うことが求められる。「めんどくさい」と思って後回しにすれば、ミスが増え、コストはもちろん、何より自分が困る。逆に、成果を出すために「必要だ」と思えれば、どんな作業も意味を持ち、打ち込める。
 「めんどくさい」と思ったら実はチャンスなのだ。
 即、実行してみよう。気が付くと、ちゃんと成果や喜びが得られているものだ。
(塚原正俊、バイオジェットCEO)