コラム「南風」 翁たちの中の少年


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 5月19日、北中城の友人と摩文仁の丘に行きました。師範校「健児の塔」の側にある「平和の像」は、大田昌秀元知事ら、学徒隊の生き残りの青年たちが建立したもの。友情、師弟愛、永遠の平和を表すという3人の少年像は私の15歳の息子と重なり、その無垢(むく)な表情の背後に広がる空に、永遠に青春と人生を奪われた無念さを見ました。

 3月には、渡嘉敷村の強制集団死の生き残りである金城重明さんを那覇中央教会に訪ねました。深い傷を抱えながら信仰を見いだし、牧師となって、キリスト教短大の教授を務めたその人生を著書で読んで以来、念願であった面会でした。歴史の重みになかなか言葉も出なかった私は、84歳の金城さんの中にいる16歳の少年に、一人の母親として向かい合っていました。―死ななくて本当によかった、よく生きてここまで来たね、との想いとともに。
 私の父も、敗戦時18歳、男は国のために死ぬしかないと教えられた世代です。以前一緒に東京大空襲の資料館に行ったとき、父は「教育勅語」の冒頭を見ただけで条件反射のように全部そらんじてしまい、自分でも驚いていました。戦後初めてだったようです。今は戦争放棄を支持する父の中にも、洗脳された軍国少年がまだいるのです。
 私たちは、もう二度と、年端の行かない少年たちが「鉄血勤皇」とか「神風特攻」といった言葉に欺かれ、砲弾の飛び交う戦場で働かされたり、自殺攻撃を強いられたりしないように、政府の行為を監視しなければいけません。特に、少年たちを殺した戦争責任者の末裔(まつえい)らが再び若者たちに食指を伸ばしている今こそ。
 「平和の礎」で友人は死んだ家族の名前を見せてくれました。無数の死者たちに囲まれながら、この人たちの声を伝えていくことこそが、生きている自分の責務であると確認しました。
(乗松聡子、ピース・フィロソフィーセンター代表)