コラム「南風」 シカ、数万頭の夢のあと


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 かつて沖縄にシカ類がアリの群れのごとくいたようだ。ケラマジカのことではない。ケラマジカは、今からおよそ400年前、琉球王国時代に金武王子が薩摩から持ち帰り古場島(現在の慶良間の久場島)に放飼したという記録がある。

最近の研究でもキュウシュウジカの近縁種ということが分かっている。
 さて、本県は、100カ所以上の地点から動物化石、特にシカ類化石の産地が知られ、わが国の化石どころである。化石というのは、過去の生物の遺骸のことで、1万年以上前の地層から掘り出されたものをいう。一般に体の硬い部分が残りやすいが、マンモスの毛や筋肉が残っている例もある。
 沖縄に化石が多く残っているのには理由がある。つまり石灰岩からなる地層が厚く広く分布しているからだ。石灰岩は水に溶けやすく、その中の炭酸カルシウム成分が骨などに染み込み、逆に骨を硬くする性質があるためだ。
 伊江島では、一つの洞穴からリュウキュウジカ600頭以上、リュウキュウムカシキョン120頭以上が出た。普天間の洞穴でもそれぞれ67頭、133頭以上のシカ類が出ている。化石は長い時間かけ、さらに天変地異を潜(くぐ)り抜けたエリートなのだ。それ故、骨の一片の発見でも、その種類は数百頭生息していたという解釈をする。つまり、100頭分の発掘というのは、その数が数千~数万頭生存していたと推測できるのだ。
 大陸と地続きになった陸橋を辿(たど)りながら渡来したシカ類にとって、その後の島嶼(とうしょ)化(大陸と切り離され島々になったこと)は厳しい環境であり、いずれも2~3万年前にはすべて絶滅した。この時期は氷河期で、東シナ海は陸と化し乾燥状態であった。陸化した大陸棚から舞い上がる埃(ほこり)が島々の植生に大きな影響を与え、絶滅を一層早めたということである。
(大城逸朗、おきなわ石の会会長)