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丸田祐三九段の思い出

 日本将棋連盟会長も務めた丸田祐三九段(1969年撮影)

 1960年3月、A級順位戦最終局を故丸田祐三九段(当時八段)と戦った。三枚矢倉と呼ばれる流行型になり、丸田九段の巧みな攻めをかわして勝った私は、全成績6勝2敗で名人戦の挑戦者となった。将棋会館が東京・中野にあった時の、記念すべき会心の勝利だった。この将棋は千日手になる心配もあったが、図らずも丸田九段に仕掛けのチャンスが生じて決戦となり、最強の戦い方を続けて完勝した。


 千日手というのは双方が同一の差し手を繰り返す状況のことで、いくら続けても勝負がつかないので、一から差し直すことをいう。指し直すとなると、日取り・対局場所など改めて決めることとなる。通常は、翌日、同じ場所で指していた。タイトル戦の日程と場所は、主催者が協議して決めていた。


 同年4月から開始された故大山康晴15世名人と私の名人戦7番勝負は、1勝4敗で私が負けた。その後、共同通信社主催の「日本一杯争奪戦」では好調に勝ち進み、10月に丸田九段と3番勝負を戦った。


 第1局は丸田九段が優れた作戦で完勝した。この作戦を私は後年、84年の第25期王位戦で高橋道雄九段(当時王位)に用いて勝っている。年月が経っているので覚えていたわけではなく、対局当日考えていると偶然にも丸田九段と同じ発想になった。細かく言うと、丸田九段の方がより積極的であった。丸田九段は棋理に明るく、作戦巧者であった。


 第2局は千日手になり、指し直して私が勝った。第3局はまた千日手になり、指し直して勝ち、2勝1敗で優勝した。丸田九段は早めに負けを宣言するので有名だが、一方で千日手を繰り返しているので、勝負にこだわる姿勢がクローズアップされる。丸田九段は翌年の名人戦の挑戦者にもなっているので、実力者と言えるだろう。


 丸田九段とはよく戦い、普段から付き合いもあった。私は尊敬していたし、丸田九段も好意を示してくれていた。数年前、ゴール近くで記録係に向かって私が「あと何分?」と繰り返し、残り時間を聞いている状況を間近で見ていた彼は「加藤さんはそれでリズムを取っているんだね」と見事に言い当てた。


 丸田九段は73年に実績を評価されて、二上達也九段と私と共に3人そろって新九段に昇段した。丸田九段は長く連盟の理事と会長を務め、公平無私の人柄で大きな支持を得た。丸田九段が70歳を過ぎた当時の対局で、私は短手数で見事に負かされている。(加藤一二三)



(共同通信)