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ちゃーがんじゅーしみそーれー 苦しい時こそ優しくありたい 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(19)


ちゃーがんじゅーしみそーれー 苦しい時こそ優しくありたい 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(19) 東大寺二月堂を訪れた筆者=1日
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 2024年の幕開け、元日の夕刻、私は東大寺二月堂の裏参道を歩いていた。例年この道を通って、手向山八幡宮に前年の絵馬を返して新しい年のものを購入する。そこでおみくじを引いた後、二月堂に上がり、落日を見るのだ。

 しかし、今年はその参道を歩いている途中。ちょうど大仏殿の鴟尾(しび)が黄金に輝いているなと見上げた直後にそのけたたましい音は鳴った。あたりを見渡せば、そこかしこからそのアラートは鳴っている。元日から何か災害の訓練だろうかとのほほんと考えていたら、地域の防災無線が声を届けた。「地震が発生しています。地震が発生しています」。繰り返されるそのメッセージに只事(ただごと)ではない空気が張り詰めていた。東大寺には海外からの観光客もいる。彼らの不安そうな顔、意味がわからない日本語のアナウンス。その時、地面がグラグラと揺れ、木々がざわついた。「地震」。声に出して自らに言い聞かせるが、どうすればいいのかわからない。立ち止まって状況を確認していたが、その後の変化はなかったので、そのまま、いつものように初詣をして、今年が明けたことを慈しんでいた。

 が、後になって能登半島で地震による甚大な被害が出ていることを知った。

 翌日は、河瀬のルーツのある岐阜の揖斐郡まで足を伸ばし、お墓参りをした。河瀬の本家には親戚がいるはずだが、家がわからない。いつかご挨拶(あいさつ)したいなと思って、花をたむけていたら、前からおじさんが歩いてきて、じっとこちらをうかがっている。よく見ると、20年ほど前に、養父河瀬兼一の17回忌をした時にお呼びした本家のおじさんに似ていたので、そのお名前を呼ぶと、「(私は)息子や」と答えられた。ああ、よく似ている。でも、なぜ、ここに? それは、まるで映画の中の一場面のような瞬間。「直美です」。私は思わず、そのおじさんの手を握りしめていた。

 本家に案内いただき、昼ごはんを一緒に食べ、これからはまたこっちも遊びに来てよと連絡先を交換して、別れた。奈良に来ていただいた方は、もう他界されたとのことだった。

 関ヶ原インターから京都に向かう車中に見えたこの日の夕陽(ゆうひ)も美しかった。空を見ると、旅客機が7機、西に向かって飛んでいる。空の上もラッシュなのだなとぼんやり考えていた。と、携帯のニュースに号外が出て、羽田空港で旅客機が炎上しているという。何が起きているのか詳細は不明。燃え盛る機体だけが画面に表示されている。

 この新年を襲った災害と事故に日本列島は震えた。様々(さまざま)な因果関係の中で私たちは生きている。一刻一刻の時の重なりの中で見えてくる情報は氷山の一角だと私は思っている。

 炎上した機体の中で乗客乗員の方が全員無事で脱出できたこと。その機内の様子を思う時、乗務員の訓練された的確な指示や行動。それに従う乗客の姿勢が海外メディアに「奇跡」だと称賛されることを、誇りに思っていたい。ここは礼儀正しく、和を尊び、役割を全うする人々が暮らす美しい国だ。かたや、人間社会に起こる憎悪があることも知っている。けれど、とても辛(つら)くて苦しい時にこそ、自らを律して人様(ひとさま)に優しくできる人であれたらと、願っている。

 今回の災害、事故で被災された方々のご冥福と一刻も早い回復を祈念しています。ちゃーがんじゅーしみそーれー(ずっと元気でいてください)。

(映画作家)