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カンヌ映画祭 vs NETFLIX 権威対革新、だが好みは…

 第70回カンヌ国際映画祭のポスター。基は1959年に撮影されたクラウディア・カルディナーレの写真。(C) Bronx (Paris). Photo: Claudia Cardinale (C) Archivio Cameraphoto Epoche/Getty Images

▼インターネット上でしか公開しない映画はコンペに出品させません―。世界最高峰のカンヌ国際映画祭が5月、第70回の開催直前、「カンヌのコンペティション部門で競いたい作品は、フランス国内の映画館に配給されるようにすること。この措置は来年から適用される」との声明を出した。きっかけは、米国の動画配信大手NETFLIXが、今年のコンペに選出された自社製作2作品(韓国のポン・ジュノ監督作と米国のノア・バームバック監督作)について、カンヌ側の要請を受け入れず、ネット上だけで公開する方針を貫いたからだ。

▼声明には「当映画祭は、映画に投資する新しいオペレーターを歓迎するが、フランス及び世界の伝統的な映画の見せ方へのサポートを繰り返し表明する」とあったが、少々うがって行間を読むと、「われわれ世界最高の権威であるカンヌ映画祭が<コンペ出品作>という御墨付きを与えているのに、フランス国内の興行に貢献せず、ネットだけで公開するとは何事だ」と受け取れる。

▼カンヌの権威ぶりを表す言葉を、ある映画プロデューサーから聞いたことがある。「カンヌはコンペで受賞しても賞金は出ないです。行ったらそれなりにパーティーを開かないと行けないし、キャストの渡航費、女優さんだとヘアメイクもあるでしょ、頼むから自前メイクでやってと思うけど。とにかくお金が掛かります。そのうえ、上映のために送ったフィルムが、終わったら返送されてくるでしょ、その送料が着払いですよ、着払い。徹底してる。権威っていうのはそういうことですよ」

▼なぜカンヌはそんなに偉いのか。カンヌのコンペに入ると、どんな良いことがあるのか。まず、コンペに選出されるだけで、確実にフランス国内配給が決まる。世界各国の有力メディアが取り上げる。名だたる評論家も見て、批評する。世界中から集まる配給会社の人々に買ってもらえるチャンスが広がる。これらのことが、同じ三大映画祭のベネチア、ベルリンよりも数段上のレベルにあると感じる。

 ハリウッドの大手スタジオなど一部の大企業は、自社で世界配給をしているが、他は各国の配給会社が買い付けるのが普通だ。その流通の大きな拠点がフランスであり、世界へのセールスを手掛けるワイルドバンチ、MK2などの会社が存在している。日本のアート系映画も、こうした会社と組んで各国への配給を進めるのが一般的だ。

▼作家性の強い映画を志向する監督は、自作を世界の人に見てもらえて、この先もなるべく自分が作りたい映画を撮れることが大切だ。あるプロデューサーは「例えば、10カ国に1万人ずつファンがいたら、その監督は少なくとも製作費5千万円程度の映画なら一生撮り続けられる」と言う。世界配給は大事だ。

▼ところが今、動画配信大手が付くと、ネット上でほぼ一括で世界配信ができてしまう。しかも、動画配信企業が好んで製作・支援する対象は、作家性が濃く出た作品、地味でも心を打つ物語、物議を醸すような題材、大胆・斬新な表現の作品。そうした、従来カンヌのような映画祭が好んできた映画を製作し、独占配信することで、利用者を増やしている。

▼自由度が高いのだから作り手は喜ぶ。先日はブラッド・ピットが、主演・製作を兼ねたNETFLIXオリジナル映画『ウォー・マシーン 戦争は話術だ!』のPRで来日して語った。「NETFLIXと組まなかったら今作は作れなかった、もしくは6分の1の予算になったと思う。今の大手スタジオでは挑戦的な作品の製作は難しい。配信サービスが伸びているのはリスクを負って良い物語を世に出しているから。映画の作り手にチャンスを与えていて素晴らしいと思う」

▼今や大画面テレビやプロジェクターの普及で、自宅で映画を大きく見られる。さらに最近はバーチャルリアリティー(VR)専用ゴーグル向けの映像開発が盛んだ。「映画館と自宅の決定的な違いは、映画館では見知らぬ他人と隣り合って見るという点に尽きる」と多くの人が言う。果たして、映画館と動画配信のバランスはどうなっていくだろうか。(敬称略)

(宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』第99回=共同通信記者)


(共同通信)