社会

信長の威光 登城者に威圧与える独特構造

岩盤が壁状に削り下げられた「大手道」側面の発掘現場=小牧市の小牧山で2017年2月7日、花井武人撮影

 ◇「大手道」側面の岩盤 発掘調査で判明

 織田信長の築城とされる小牧山城跡(愛知県小牧市)の第9次発掘調査結果が7日発表され、本丸に通じる「大手道」側面の岩盤が3メートルも壁状に削り下げられ、登城者に威圧感を与える構造になっていたことが分かった。自然の地形を生かした山城にはない工法で、既に見つかっている石垣とともに、同城が近世城郭のルーツだったことを改めて裏付けた。【花井武人】

 調査は市が行い、小牧山のふもとと山頂の本丸をつなぐ「大手道」最上部付近を発掘した。道は山の中腹まで直線だが、本丸に近づくとつづら折りの曲線となり、最上部ではS字に大きく曲がっていたことが確認された。さらに側面の岩盤が深さ3〜1メートルまで垂直に削られ、道はその下を通っていた。側面の上には高さ1メートル以上の石垣も確認されており、「大手道」を登ってきた人は、山頂付近で高さ計4メートル以上もある壁に直面し、本丸を仰ぎ見る構造になっていた。

 小牧山城は、尾張を統一した信長が1563(永禄6)年に築城し、稲葉山城(現在の岐阜城)に移るまで約4年間居城にしたとされる。2005年の発掘調査で近世城郭の代表的な特徴の石垣が見つかった。それまで近世城郭のルーツは、1576(天正4)年に信長が築いた安土城とされていたため、定説を覆す「歴史的発見」として注目された。

 今回の発掘調査について、中井均・滋賀県立大人間文化学部教授(日本考古学)は「岩盤を削り込み、石を配列する工事は設計図や緻密な測量が必要で、近世城郭が小牧山城から始まったことを示す遺構として評価される」とコメントしている。


(毎日新聞)