<未来に伝える沖縄戦>食糧求め収容先夜逃げ 与那城剛さん(85)〈下〉


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「伝えていかないといけない」と中学生に自身の沖縄戦体験を語る与那城剛さん=2015年12月22日、金武町の並里区事務所

 《米軍が沖縄本島に上陸する間際の1945年3月、与那城剛さんは日本兵の命令を受け、部隊移動の荷物運搬のため金武村(当時)から宜野湾村(同)まで馬車に乗せられました》

 先輩の役目を引き継ぎ地域の監視所で、米軍機が通った方向を電話で駐在所に報告するという役目をしていました。
 45年3月に部隊移動の荷物運搬を命じられました。「監視所の仕事も国のために重要な仕事だと思います」と断ると、上官が出てきて「貴様、たたき斬るぞ」と。本当に斬られていたと思います。当時、人命は軽いものでした。
 3月23、24日にかけて夜の闇の中、艦砲射撃を避けて馬車を引きました。(日常だから)怖いとかいう気持ちはなかったね。いつ弾に当たるだろうか、ぐらいに思っていました。普天満宮を通ったのは覚えています。昔の道は石ころだらけで馬も早く歩けません。兵隊1人が馬車に乗ってましたが、疲れて寝ていたのか、移動中は特に話をしませんでした。

※続きは1月10日付紙面をご覧ください。