《1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸します。越来村(現・沖縄市)に住んでいた嘉陽田ヤエ子さん=当時15歳=は家族と北部に逃げました》
羽地村(現・名護市)源河に着き、川沿いに歩き続けて東村有銘に避難しました。避難中は食糧が限られているので、海水と雑草でおつゆを作りました。山中で寝る時は荷物をまくらにして寝ていました。敵が現れるかもしれないという恐怖が強かったため、今なら怖いと感じる蛇なども気になりませんでした。
米兵に見つかると若い男女は連れて行かれるからといって、大人たちが警戒していました。移動する時はわざと鍋の汚れを顔に付けて、ぼろぼろの着物に身を包みました。住民に変装する日本兵もいて「着物をちょうだい」と言われたことがあります。
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