<未来に伝える沖縄戦>母とはぐれ山中逃げ回る 高宮城清さん(84)〈下〉


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「勝っても負けても、戦争にいいことはない」と語る高宮城清さん=6日午後、北谷町伊平

 《サイパン島北部に避難中に遭った艦砲射撃で、高宮城さんは父と妹2人、弟の家族4人を亡くしました。家族は母と乳飲み子の弟と高宮城さんの3人だけになりました》

 (島東部の)海岸沿いのジャングルに入った後も銃声は聞こえ続けていました。夕方、弾の音がやんだのでジャングルから飛び出して、サトウキビ畑に入りました。すると、キビ畑の中でむくっと5、6人が立ち上がったんですね。「敵だーっ」と僕は2、3歩下がったんですけど、母は「あれは友軍(日本軍)だよ」と言って。僕にはどうしても友軍に見えなかったから、ジャングルの中に飛び込んだんです。母も弟も米軍に捕まったか、殺されたんだと思いました。
 「(家族は)自分一人だけになってしまった」と思いました。ススキの茂みの中に隠れている間にきょうだいたちが元気だったころの夢ばかり見ていました。

 《高宮城さんは敗残兵2人と会い、島中央にあるタッポーチョ山に避難します》

 その後、沖縄の人のグループと出会って、島仲三郎さんという八重山出身のおじさんが僕を引き取ってくれました。島仲さんは「僕は八重山に牧場を持っているから、戦争が終わって沖縄に帰ったら一緒に牧場経営しような」と言ってくれて。それが僕の大きな夢になって、そこからはどんなことがあっても生き抜くんだという気持ちになりました。

※続きは5月29日付紙面をご覧ください。