<未来に伝える沖縄戦>爆撃、13歳の兄が大けが 野原清子さん(80)〈上〉


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 南風原町喜屋武に住む野原清子さん(80)が沖縄戦を体験したのは7歳のころです。野原さんは5人兄弟の2番目で、当時では珍しい瓦屋根の家に暮らしていました。1944年10月10日、那覇を中心に大きな空襲があり、南風原の一部も被害を受けました。その後空襲が激しくなり、身の危険を感じた野原さんの家族は南部に向かって逃げます。この時、当時35歳だった母親のツルさんは子を身ごもっていました。那覇市立鏡原中学校1年生のゲレロ大洋さん(13)、松田にこさん(12)の2人が野原さんの話に耳を傾けました。

「戦争を体験して、子や孫に同じ思いをさせたくないと思った」と話す野原清子さん(左)の体験談を聞く鏡原中1年の松田にこさん(中央)とゲレロ大洋さん=10月30日、南風原町立中央公民館

 〈旧那覇市の90%が焼失した10・10空襲。南風原村(現南風原町)与那覇もアメリカ軍による空襲を受けました〉

 空襲があった日は学校から早く帰されました。(現南風原町)山川の実家に戻るとすぐ「こっちはもう危ないよ」と母が言ったので、その日は急いで屋敷のそばの壕に避難しました。

 〈その後も空襲警報があるたび、壕に逃げ込む日々が続きました〉

 爆弾を落とされないように明かりを消すので、空もみんな真っ暗でした。爆弾が「ばーん!ばーん!」となって、煙も充満して大変でした。「どうしよう」と思って怖かったです。

※続きは12月10日付紙面をご覧ください。